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【戦史研究6】石原莞爾と板垣征四郎 満州事変(柳条湖事件)『指揮官と参謀 コンビの研究』半藤一利 著

 こんにちは、40代オッサンtrrymtorrsonです。

 

 日中・太平洋戦争の起点をどこに設定するか?

 僕は前の記事で、便宜上、満州事変(柳条湖事件)を起点にして、終戦までの出来事を列挙しました。

 それ以前にさかのぼっていくと整理が複雑になってしまいます。

 日露戦争の勝利によって、中国大陸に権益を獲得。日本はアジア制覇の野望を抱いた。その後、中国側の国権回復運動や政治的・軍事的緊張、そして張作霖爆殺事件。

 

 僕は専門家ではありませんので、あくまで趣味の範囲で、個人的な観点でライフワークとして1945年の敗戦に至る真相を究明したいというのが望みです。

 その方法論としてこれまでの5回のレポートで、軍人を中心に人物に焦点を当てる。また、時系列に並べた事件に焦点を当てる、ということを考えました。

 もう一つ話の前提として、「敗戦」「戦犯」といった「歴史的結果」から事件や人物を極力評価しないこと。軍人を性悪説で見ないこと。

 

 重要な軍人、重大な事件の筆頭に上がるのが、石原莞爾板垣征四郎。そして、彼らが中心となった「満州事変(柳条湖事件)」ではないでしょうか。 

 半藤一利氏の『指揮官と参謀 コンビの研究』という本があります。読みやすくて、戦史研究の入門書にぴったりの本だと思います。 

    

 

 本書の冒頭で板垣征四郎石原莞爾のコンビが取り上げられています。

 板垣は陸軍大臣まで上り詰めたが、極東国際軍事裁判で死刑判決。かたや石原は陸軍きっての奇才といわれ、柳条湖事件満州事変の原作、脚本、演出を手掛けたが、その後、陸軍の本流から外れ戦犯指定を免れた。

 本書によれば当時の情勢は、折から中国側の国権回復の激しい動きと日本側の権益維持の圧力とで、満蒙問題はいずれが譲歩するか、双方が妥協しないかぎり、外交交渉で解決が困難という一触即発の状況に追い込まれていた。

 もし僕が当時の指導者、政治家、板垣や石原のような軍人だったとしたら、先人が獲得した大陸における権益を守ろう、国防を全うしようとするのが筋ではないでしょうか。そのように考えないといけない。

 

 しかし、東京では重大な事態となっていた。天皇が南陸相を呼んで次のようにいましめた。

 「軍紀は厳重に守るようにせねばならない。明治天皇の創設された軍隊に間違いがあっては、自分としては申し訳のないことである」と言われたというのです。

 それで軍中央は、慎重論が大勢を占めていたのでした。

 なぜ板垣らは恐らく天皇の意思を知りながら、独断専行しようとしたのか?

 独断専行でも、作戦が成功して張学良軍を撃破し満州全土を制圧すれば、結果オーライと思ったのではないでしょうか。

 このあたりが「統帥権の独立」の問題に絡んでくるのでしょうか?

 半藤さんはこの章の最後で、「当時の陸軍、とくに石原が天皇を機関と考えていたことが明らかな話である」て結んでいます。

 

 満州事変の成功の結果、昭和7年3月に満州国が建国された。この時点では、直ちに日中関係が泥沼化するとは想定されていなかったのだと思います。

 しかし半藤さんも書いている通り、ここでいくつかの疑念が生じてきます。

 広大な満州を独占して、国際的信用が失墜しないかということを考えなかったのか?

 長大な国境線を防御する方策を考慮していたのか?

 五ヵ年計画で増強されたソ連軍と正面に相対することになり、軍事的脅威に苛まれ続けるのではないか?

 先の天皇の発言は、これらの疑念や不安が国内を覆っていたのだと思わされます。

 陸相まで上り詰めた板垣、陸軍きっての奇才、石原なら対策を講じていたはずですがどうでしょうか。

 考慮していなかったとすれば、お粗末と言わなければなりませんね。

 

指揮官と参謀 コンビの研究 (文春文庫)

指揮官と参謀 コンビの研究 (文春文庫)

 

 

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