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【戦史研究5】マッカーサーが作成を指示したリストに挙がった120名超の戦争犯罪容疑者

こんにちは、40代オッサンtrrymtorrsonです。

 

僕は10年以上前、光人社の戦記ものなどをよく読んでいました。

A級戦犯などの自伝、小説、検証本その他たくさん読んでみましたが、読んだ本の内容をほとんど忘れてしまいました。

 

過労と上司のパワハラにより仕事が回らなくなって休職して、この際好きなことや中断していたことをやろうと思い、ブログを書くことなどと合わせて、戦史を研究するということを再開しました。 

 

歴史家や戦史研究の専門家、そのほかにも膨大な知識を持つ人はざらにいると思いますが、僕はあくまで趣味の範囲で、個人的な観点でライフワークとして真相を究明したいというのが望みです。

 

ここで言う戦史とは日中・太平洋戦争史です。

 

この戦争で一説には日本人が約300万人亡くなったとされ、最終的に極東国際軍事裁判で28名が起訴され7名が絞首刑に処せられました。

戦前から敗戦に至るまで、歴史上重要なターニングポイントをいくつも経て、無数の重要な政策・戦略判断が行われ、また個々の戦場でも夥しい戦術判断がありました。

いわゆるA級戦犯に責任を負わせる、軍部が独走したなど、物事を単純化してはいけません。実際いろんな議論があります。

 

かつて日本人が白人アメリカとガチで戦って敗れた。完膚なきまで叩きのめされ、悲惨な負け方をした。負けたあとも、精神の根幹を巧妙に支配された。自分のことのように悔しいが、この敗戦があったから今の日本がある。

 

なぜあれほどの悲惨な敗戦を迎えなければならなかったのか未だ謎です。

そのうち僕独自の、個々の人物、個々の戦場を網羅した「太平洋戦争相関図」を作成するのが目標です。

 

■ 第一次~第四次戦犯指名 

前の記事で極東国際軍事裁判で訴追された被告28名を確認しました。

彼ら以外にも、多くの戦争犯罪容疑者が逮捕されました。

 

1945年9月の米戦艦ミズーリ号での降伏文書調印式以後、マッカーサーCIC(対敵諜報部)部長エリオット・ソープ准将に、東條英機陸軍大将の逮捕と戦争犯罪人容疑者のリスト作成を命じたのでした。リストは120名以上にのぼりました。

 

◇第一次戦犯指名(外国人戦犯除く)

東條英機内閣総理大臣。9月11日に自決未遂)、東郷茂徳外務大臣)、嶋田繁太郎海軍大臣)、賀屋興宣(大蔵大臣)、鈴木貞一(企画院総裁)、岸信介(商工大臣・国務大臣)、岩村通世(司法大臣)、小泉親彦(厚生大臣。9月13日に自殺)、橋田邦彦(文部大臣。9月14日に自殺)、井野碩哉(拓務大臣・農林大臣)、村田省蔵逓信大臣・鉄道大臣)、寺島健逓信大臣・鉄道大臣)、上田良武(海軍中将)、本間雅晴(陸軍中将)、黒田重徳(陸軍中将)、長浜彰(陸軍憲兵大佐)、太田清一(陸軍中佐)、鈴木薫二、徳田久吉、飛田時雄、長内茂、三浦宗一、竹内寛、ジェームズ・W・佐々木/佐々木薫一、土肥原賢二奉天特務機関長)、阿部信行(内閣総理大臣)、安倍源基(内務大臣) 

 

◇第二次戦犯指名

荒木貞夫(陸軍大将)、小磯国昭内閣総理大臣)、松岡洋右外務大臣)、松井石根(陸軍大将)、南次郎陸軍大臣)、白鳥敏夫(外交官)、本庄繫(陸軍大将。11月20日に自殺)、鹿子木員信(国粋主義者)、久原房之助(実業家)、葛生能久(右翼)、真崎甚三郎(陸軍大将)

 

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◇第三次戦犯指名

畑俊六(元帥陸軍大将)、平沼騏一郎内閣総理大臣)、広田弘毅内閣総理大臣外務大臣)、星野直樹(企画院総裁)、大川周明(思想家)、佐藤賢了(陸軍中将)、鮎川義介(実業家)、天羽英二内閣情報局総裁)、安藤紀三郎(内務大臣)、青木一男(大蔵大臣)、有馬頼寧(農林大臣)、藤原銀次郎国務大臣)、古野伊之助(通信事業経営者)、郷古潔(実業家)、後藤文夫(国務大臣)、秦彦三郎(陸軍中将)、本多熊太郎(外交官)、井田磐楠(貴族院議員)、池田成彬(大蔵大臣・商工大臣)、池崎忠孝(赤木桁平。衆議院議員)、石田乙五郎(陸軍中将)、石原広一郎(実業家)、上砂勝七(陸軍少佐)、河辺正三(陸軍大将)、菊池武夫(陸軍中将)、木下栄市(陸軍中将)、小林順一郎(右翼)、小林躋造(台湾総督)、児玉誉士夫(右翼)、松阪広政(司法大臣)、水野錬太郎(貴族院議員)、牟田口廉也(陸軍中将)、長友次男(陸軍少将)、中島知久平(商工大臣・軍需大臣)、中村明人(陸軍中将)、梨本宮守正王(元帥陸軍大将)、西尾寿造(陸軍大将)、能見敏郎(陸軍中将。12月13日に自決)、岡部長景(文部大臣)、大倉邦彦(実業家)、大野広一、太田耕造(文部大臣)、太田正孝衆議院議員)、桜井兵五郎(国務大臣)、笹川良一衆議院議員)、下村宏(国務大臣)、進藤一馬(右翼)、塩野季彦(司法大臣)、四王天延孝(衆議院議員)、正力松太郎貴族院議員)、多田駿(陸軍大将)、高橋三吉(海軍大将)、高地茂都、谷正之(外務大臣)、徳富猪一郎(徳富蘇峰。ジャーナリスト)、豊田副武(海軍大将)、津田信吾(実業家)、後宮淳(陸軍大将)、横山雄偉

 

◇第四次戦犯指名

木戸幸一内大臣)、大島浩(陸軍中将)、近衛文麿内閣総理大臣。12月16日に自殺)、酒井忠正(貴族院議員)、大河内正敏(内閣顧問)、緒方竹虎国務大臣)、大達茂雄(内務大臣)、伍堂卓雄(商工大臣)、須磨弥吉郎(外交官)、永野修身(元帥海軍大将)、岡敬純(海軍中将)、梅津美治郎(陸軍大将)、重光葵外務大臣)、長谷川清(海軍大将)

◇その他(外地で逮捕など)

板垣征四郎陸軍大臣)、木村兵太郎(陸軍大将)、武藤章(陸軍中将)、橋本欣五郎(陸軍大佐)

 

太字は、逮捕されたあと実際に戦争犯罪人として起訴された28名。

それ以外は、自決した者、逮捕拘留中に死亡した者、不起訴になり公職を追放された者、ということになります。

 

こうしてみると、起訴と不起訴を分けたものは何だったのかという疑問が湧きます。

 

もっとも自殺した近衛文麿などは、日中戦争拡大、対英米開戦に重大な影響力を持った人物で、生きていれば極刑ではなかったかと思います。

 

また、このリストに挙がっていない人物で、日中・太平洋戦争の戦局・政局において重要な役割を演じた者もたくさんいます。

 

例えば軍人では、永田鉄山、小畑敏四郎、石原莞爾、服部卓四郎、辻政信山本五十六山下奉文杉山元、米内光政、井上成美、小沢治三郎、古賀峯一、阿南惟幾大西瀧治郎甘粕正彦南雲忠一、田中隆吉、栗林忠道、源田実、伊藤整一・・・(戦中に戦死した者などを含む)。

 

僕は日中・太平洋戦争の事件と人物を独自に研究するアプローチとして、極東国際軍事裁判の逮捕者から人物をリストアップするという方法を取りました。

 

戦勝国であるアメリカから見た、日中・太平洋戦争の指導者とは誰だったのか?

 

戦争犯罪人容疑者のリストを見ると、戦勝国が起訴した戦争犯罪人と、国や軍を指導し、敗戦に導いたキーパーソンとは一致しないということがわかります。

 

本日の記事は以上です。

 

 ☟『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』戸部良一他(中公文庫) 

 

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