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【戦史研究11】永野修身と杉山元 対米開戦の最重要責任者『指揮官と参謀 コンビの研究』半藤一利 著

こんにちは、40代オッサンtrrymtorrsonです。

 

僕は戦史の専門家ではありませんが、あくまで趣味の範囲で、個人的な観点でライフワークとして1945年の敗戦に至る真相を究明したいと思っています。

 

その方法論として、これまでの10回のレポートで、軍人を中心に人物に焦点を当てる。また、時系列に並べた事件に焦点を当てるということを考えました。

 

もう一つ、話の前提として、「敗戦」「戦犯」といった「歴史的結果」から事件や人物を極力評価しないこと。軍人を性悪説で見ないこと。

 

半藤一利さんの『指揮官と参謀 コンビの研究』という本があります。

読みやすくて、戦史研究の入門書にぴったりの本だと思います。 

 

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【戦史研究1】【戦史研究5】の記事で書いたように、マッカーサー率いるGHQは、戦争犯罪人容疑者リストにそって、120人以上を逮捕し、最終的に28人を起訴、7人を絞首刑としました。

 

その中で、次に挙げる最高責任者といってよい3人は、いずれも極東国際軍事裁判で起訴されず、絞首刑にもなりませんでした。

内閣総理大臣近衛文麿首相、陸軍参謀総長杉山元大将、海軍軍令部総長永野修身大将の3人です。

なお、近衛はGHQから逮捕命令が出た後に服毒自殺しています。

 

前の記事では、戦勝国が起訴した戦争犯罪人と、国や軍を指導し、敗戦に導いたキーパーソンとは一致していなかったということを書きましたが、今回まさにそのケース。

 

半藤さんは『指揮官と参謀 コンビの研究』で、永野修身杉山元のコンビを取り上げています。

半藤さんは次のように書いています。

 

最高の輔翼者に(永野と杉山という)ウソを平気でつける者を、それと知りつつおいていた天皇の不幸であった。いや、それ以上に、そうした軍事的トップに国家の運命がにぎられていたとは、日本国民の最大の不幸であった。

 

昭和天皇は、陸軍が南では南部仏印進駐、北では関東軍増強による特殊大演習(関特演)と日和見政策をとった結果、兵力を分散したこと、資産凍結や石油禁輸など米国の経済圧迫を招いたことに対して、どうするのかと杉山を何度も叱りました。

 

杉山は忠臣で天皇は嫌ってはいませんでしたが、𠮟られて恐れをなしているばかりでした。

杉山が陸相のときに起きた盧溝橋事件でも、その事後統制処理をする実力がなく、策を施すこともなく、中堅幕僚の主張の通りに動いただけでした。

 

杉山と永野の2人は、昭和16年9月5日と翌6日の御前会議の国策決定において、昭和天皇と面談しています。

 

このとき一貫して主戦論を展開したのは永野でした。

 

半藤さんが書いているように、永野の戦略観は、すでにして日米戦宿命論で一貫して固まっていたのでした。

そしてその戦術となれば、予防戦術論の一本鎗。

侵攻を受けると判断されたときには、機先を制して攻撃をかけ、相手国の戦力を叩き潰して侵略の危険性を排除する。これあるのみでした。

この戦略戦術論を、天皇の前であろうと、大本営政府連絡会議であろうと、永野は断乎として主張し続け、変わることはありませんでした。

 

対米開戦を強硬に主張したのは、海軍軍令部総長永野修身大将であったということ。

これは絶対押さえておかなければならない歴史的事実だと思います。

このことは半藤さんの本書を読めば、この間の詳細なやり取りがよくわかります。

 

そして、その永野を軍令部総長に推挙し、自らは日独伊三国同盟仏印進駐、帝国国策遂行要領の決定に際して、一貫して無責任を決めこんだ及川古志郎海軍大臣の責任は重大でした。

 

米内光政、山本五十六、井上成美、古賀峯一、小沢治三郎らは対米不戦を訴えましたが退けられました。

このとき山本は次のように言って天を仰いだといいます。

「天才でもないのに、自分を戦略戦術の天才だと思っている男(永野)が総長になったのでは、もう戦争ははじまったと同然だ」

 

昭和16年9月6日の御前会議において、昭和天皇は懐中から紙片を取り出して読み上げました。

「私は毎日、明治天皇御製の、‟よもの海みなはらからと思ふ世に など波風のたちさわぐらむ” を拝誦している。どうか」

 

天皇のこの言葉に恐れおののいた杉山は、敗戦ののち、四発の拳銃弾を胸に射ちこんで自決しました。

一方の永野は、この天皇の重大な発言さえも聞き流し、変わらず主戦論をぶったそうです。

戦後、A級戦犯として逮捕され獄中で病死しました。

海軍のために大いに弁じようと闘志満々であったそうです。 

 

本日の記事は以上です。

 

 

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