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【戦史研究15】小沢治三郎と栗田健男 名将と呼ばれた男をもってしても敗れた戦い『指揮官と参謀 コンビの研究』半藤一利 著

 こんにちは、40代オッサンtrrymtorrsonです。

 

 僕は戦史の専門家ではありませんが、あくまで趣味の範囲で、個人的な観点でライフワークとして1945年の敗戦に至る真相を究明したいと思っています。

 その方法論として、これまでの14回のレポートで極東国際軍事裁判東京裁判)の被告人やGHQ戦争犯罪人リストからさかのぼって、軍人をピックアップして焦点を当てる。また、時系列に並べた事件に焦点を当てる。こういうことをやってきました。

 もう一つ話の前提として、「敗戦」「戦犯」といった「歴史的結果」から事件や人物を極力評価しないこと。軍人を性悪説で見ないこと。

 

 また、半藤一利さんの『指揮官と参謀 コンビの研究』という本を教科書として、自分なりの日中・太平洋戦争の解釈を試みてきました。この本は読みやすくて、戦史研究の入門書にぴったりの本だと思います。 

    

 

 今回取り上げるのは、海軍の提督、小沢治三郎中将と栗田健男中将です。

 小沢と栗田はミッドウェー海戦に敗れた山本五十六亡きあと、マリアナ沖海戦やレイテ沖海戦において、米国に劣る戦力で決戦を挑んだ実戦部隊の司令官です。

 

 さて、これまでの記事で、陸軍軍人を取り上げた際、東條英機板垣征四郎のように戦争指導で重要な役割を果たし、東京裁判の被告人として裁かれたケース、あるいは牟田口廉也辻政信などのように、作戦指導のみならず人格そのものに問題があったケースがありました。

 彼らを記事上で評価するのは、僕にとってそれほど難しくありませんでした。しかし、海軍の提督、特に名将で人格者と評される山本五十六をどう解釈するか?これに非常に苦しみました。

 

 今回の小沢治三郎も一般的な評価は名将と言われています。その大きな理由は、当時艦隊決戦派が多数を占めていたなかで、航空兵力を主力とする空母機動部隊を山本五十六に具申し、機動部隊生みの親と言われているからです。

 しかし、山本にしろ小沢にしろ、1942年6月のミッドウェー海戦、1944年6月のマリアナ沖海戦、1944年10月のレイテ沖海戦で、米国海軍との実力の差を露呈し惨敗を喫した敗軍の将なのです。

 この3つの大きな海上決戦でもう少し有利に戦っていたなら、その後の日本の敗戦に至る過程は違ったものになっていたかもしれないのです。

 

 1944年6月のマリアナ沖海戦では、小沢と栗田がミッドウェー海戦以来の米国海軍とほぼ互角の戦力を確保し、「アウトレンジ戦法」という秘策をもって決戦に臨んだ。

 しかし、米国の最新のレーダーシステムやVT信管という強力兵器の前に、日本軍攻撃隊はことごとく撃墜されて「マリアナ七面鳥撃ち」と揶揄される有様だった。

 日本軍側の問題として、まず「海軍乙事件」という、福留繫参謀長が作戦計画書を盗まれる重大な情報漏洩があった。また、通信連絡の軽視、さらには半藤さんが書いているように、小沢と栗田の相互不信があった。

 

 マリアナ決戦の惨敗のあと、同年10月、レイテ沖海戦を迎える。

 これは小沢艦隊がおとりとなり、主力の栗田艦隊がレイテ湾に突入し米国海軍を撃滅するという作戦であった。

 詳述は避けるが、本書で半藤さんは、このときの栗田艦隊の「謎の反転」を取り上げ、栗田に対する石渡幸二氏の「あらぬ方向へ走る癖」「所要のことを連絡しない癖」という評価を用いて痛烈に批判している。

 

 しかし繰り返しますが、マリアナ沖海戦とレイテ沖海戦の敗北を全て栗田の「避敵の傾向」のせいにしていいのだろうか?

 小沢治三郎という名将と呼ばれた男を主将に据えて、日本海軍の総力をもってしても敗れたという現実をもっと見ないといけないのではないだろうか。

 

 

指揮官と参謀 コンビの研究 (文春文庫)

指揮官と参謀 コンビの研究 (文春文庫)

 

 

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