仕事したくない事務職のオッサンのビジネスブログ

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テキパキしてない奴、愛想の悪い奴は一体どこへ行ったのか?

こんにちは、40代オッサンtrrymtorrsonです。 

 

精神科医でブロガーの熊代亨さんという方が次のような記事を書いておられるのをXで見かけて、すごく納得したことがあります。

 

www.huffingtonpost.jp

 

「どこの業種に行っても優秀なやつばかり見かける。コンビニ然り、公務員然り。昭和の頃より皆テキパキ動いていて、愛想も良くて、意外と応用も利いている」 時々、これが恐ろしいことのように思えることがある。じゃあ、テキパキしてない奴、愛想の悪い奴は一体どこへ行ったのか?

 

熊代さんがもう10年くらい前に書かれている記事ですが、僕自身も感じていたことをズバリ指摘されており、大変共感したところです。

 

みんな、なかなかコミュニケーションも達者で、「ぎこちなく頑張って喋ってます」的な人や「真面目に働いているけれども超スロー」な人は稀になった。

 

もっと無愛想で、もっとノロくて、もっといい加減でも許されていたような・・・。

 

実のところ、小器用に振る舞える人間、融通の利く人間、汎用性の高い人間以外が、社会から排除されているのではないか?要領の悪い人間、愛想の悪い人間が働ける場所が失われてきているのではないか?

ほんの数十年前までは、日本社会のあちこちに要領が悪い人・無愛想な人が溢れていたはずだ。融通の利かない店員さんも沢山いた。私の周囲もそうだった。だから、いくら社員教育が充実したとはいえ、今の若い世代にだってそういう人が相当数いなければ辻褄が合わないはずなのだ。

 

理想的な社会って、一体どんな社会なんでしょうね?

 

もう熊代先生のおっしゃることに完全同意です。

ほとんど引用してしまいました。

 

ここからは熊代さんの記事の趣旨とズレてしまうんですけれども。

 

僕自身が職場内でベテランの50歳になって、本来は「正しい仕事とはこうだ!」と、後輩に範を示す立場にあります。

 

しかし、もう30年近く事務職を務めてきて、「正しい仕事とは何だろう?」「優れた仕事とは何だろう?」という疑問がムクムクとわき上がってきて、もう自分の手に負えないほどの大きさになってきた。

 

つまり、もう仕事がつまらなくなって虚しくなってしまいました。

 

昔はまだ、「仕事の成果物」というものが、はっきりとあったように思います。

 

言い換えると、仕事の成果が「定量的」であったと言えます。

 

しかし、ここ20年から30年くらいのあいだに、仕事の成果が「定性的」なものに変質したように思います。

 

いやもちろん、「工場で○○を△△個生産する」というのは、定量的な仕事なので成果ははっきりしているんですが。

 

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マクドナルドなどの飲食店で、いつ行っても、同じ見た目で同じ味のビッグマックが出てくる。

バイトのAさんが作ったビッグマックと、バイトのBさんが作ったビッグマックが見た目も味も違っていて、注文するたびにバラツキがあったら客としては違和感を感じます。

 

マニュアル通りに同じものを作るというのは、飲食業にとって当然のことですが、サービスの性質上、そういうふうに十分な訓練が必要です。

 

しかし、世の中にある仕事のなかで、マクドナルドのような定量的な仕事ばかりではありません。

ホワイトカラーの仕事は、定性的な仕事も随分あります。

 

マニュアルが作れないようなことがたくさんある。

 

ホワイトカラーの仕事が属人的なパフォーマンス重視になって、仕事のための仕事を作り出すことが価値のあることだとされる。

 

そんななかで「俺が作ったマニュアルがマニュアルだ!」と言ったヤツが、仕事のデキるヤツだと評価される。

 

マクドナルドのマニュアルのように、10人中8人が違和感なく参照できる内容のものが妥当なマニュアルと言えるでしょう。

 

しかし、実はマクドナルドのマニュアルでさえも、それが本当に正解とは誰にも言えないものです。

ほかに改善の余地があったりして、全然別のものに作り替えられる可能性があります。

 

「キチンとしたマニュアルを作らなければいけない」

そして、「仕事はマニュアル通りにしないといけない」

 

それはまあそうでしょう。

 

「コンビニ然り、公務員然り。昭和の頃より皆テキパキ動いていて、愛想も良くて、意外と応用も利いている」

 

これは、マニュアル通りにキチンとやっているから、その人は仕事がデキる人のように見えるでしょう。

そこで、マニュアルの存在そのものに疑問を持ってはいけません。

 

しかし、人が作ったマニュアルは、別の人が見たら何のことかよく分からない場合も多々あります。

 

10人中8人がその通りにこなせるマニュアルがあり、一方で、10人中1人しか理解できないようなマニュアルもたくさんあります。

それはそもそも「マニュアルになっていない」んですが。

 

ある人が企画書を作って、プロジェクトを立ち上げて、結果らしきものを出したら、その人はシゴデキだと言われる。

 

「全国に先駆けて子ども食堂プロジェクトを推進して、先行事例としてメディアに紹介された」

 

そのとき、そのプロジェクトリーダーは、仕事が出来ると評価されて偉くなるでしょう。

何となくその仕事は、10人中8人が異論の出ないもののように思える。

 

しかし、それは本当に正しい仕事でしょうか?

 

子ども食堂プロジェクト」は先進的に見えて、実は非常に「マニュアル的な仕事」です。

 

そこには、そのマニュアルが正しいかどうかという議論がありません。

 

この場合、本来政府がやるべき仕事は、減税や給付金や助成金で困窮世帯や共働き世帯の可処分所得を増やして、子どもの孤食や欠食を無くすことです。

こども食堂プロジェクト」が必要ない社会にすることのはずです。

 

熊代さんが提起した問題。

 

「テキパキしてない奴、愛想の悪い奴は一体どこへ行ったのか?」

 

ほんとにどこに行ったんでしょうね。

 

「マニュアルなんてクソだ」

「なんかこのマニュアル、意味分かんねー」

 

そう思っている僕のようなヤツは、「テキパキしてない奴、愛想の悪い奴」だと社会から評価されて、干されているんでしょうね。

 

仕事に過剰に適応してはいけません。

 

みんなが頭で考えずに同じ方向に何となく進むことが正しいことだとされてしまう。

 

年配者の役割は「正しい仕事とはこうだ!」と、後輩に範を示すことだと思っていましたが、その認識は間違っているかもしれません。

 

仕事が定量的か定性的か。

マニュアル的か属人的か。

そんなことはどうでもよい。

正しいか間違っているかさえ、顧みられない。

 

そういうカオス状態の労働現場で、テキパキと愛想よく働いているように「見せる」ことだけが価値ある仕事となっているようです。

 

本日の記事は以上です。