こんにちは、40代オッサンtrrymtorrsonです。
自治体の長に限らず、組織のトップがこうでは困りますが、ビッグモーター事件を契機として、トップのパワハラ言動が社会的に糾弾される時代になりました。
一昔前はあまりなかったですよね。
ちょっと前の明石市長だった泉房穂氏がこのタイプで、僕は本人からブログを晒されて、泉信者から猛烈に叩かれたことがあります。
僕も不用意だったので反省していますが、僕は泉氏を擁護するマスコミや著名人による「彼は口は悪いが熱血漢で有能だ」というのが、大嫌いです。
口が悪い時点でアウトだ。
今回は宮若市の塩川市長のことを書きたいと思います。
この人は見過ごせないことを言っているので。
いろいろなニュースから判明した、この人のパワハラ・モラハラ言動は次のようなものです。
「運転手やったら自分のスマホ見るんか!すみませんで済むか!」
「おっ?仕事なめんなよ!仕事!(※「バンッ!」机をたたく音)仕事があるから飯が食えとろう。仕事をなめたら駄目。とことんやれ、仕事は。いま失敗して、ガンガン言われた方がいい。それが耐え切れないなら辞めろ」
「この役を務まらんかったら、辞めるしかなかろうもん」
「私と働くのであれば、家族と決別するよう家族に伝えなさい」
「あんたは子どもがおらんから親の気持ちが分からんだろう」
「2人同時に育休を取る必要があるのか」
「ヘルメット被ってろ。そしたらバットで叩いてやるから」
「あんたの病気は周りからみたら大した事ではない。病人の目をしていない」
ローカルニュースで連日ニュースになっているので、不特定多数の職員に対して日常的に暴言を吐いていたのだろうと推測されます。
泉氏のところでも書きましたが、パワハラ気質の人間は、日常的にパワハラを行うのであり、その人間の存在自体がパワハラなんですよ。
れいわ新選組の衆議院議員、大石あきこさんもおっしゃっています。
パワハラの多くの構造が、「有能な上司による一見正当な理由での叱責や無理難題の強要」によって成り立っています。
自分だけが正しいと信じて疑わない、人を人と思わず威嚇し威圧しようとするのは、パワハラ人間の典型的な特徴です。
福岡・宮若市長「辞めろ」「すみませんで済むか」パワハラ発言か 職員が委員会に改善申し立て 市長否定せず|FNNプライムオンライン
【Photo:FNNプライムオンライン】
塩川氏の言動は、とても有能なトップのものではなさそうですが。
無理難題で部下を追い詰めている様子が見て取れます。
宮若市の塩川市長の言動自体が大いに問題ではあるのですが、僕が非常に気になったのは、塩川市長があるテレビ局の取材に対してこういう趣旨の発言をしていることです。
「自分は叩かれて育ってきたからその体質はある」
部下に対する言動の端々に、「厳しく叩かれて育つんだ」という思いが染みついているんですね。
素朴な疑問として、教育とは?指導とは?人を育てるとは?
叩いて叩いて打たれ強くなるように育てるのが正しいのか?
というかこの人の場合、市長の仕事はスパルタ教育の独裁者だと勘違いしているんですが。
そういう風に信じている人は、実は非常に多いのだろうと思います。
職人の世界、飲食業界、あらゆる会社や組織。
最近の宝塚歌劇団だってそうです。
そういうのを耐え忍んで、一流になると、公然と信じられてきました。
叩かれて育ってきて、そのやり方が正しいと信じている人が大勢いる。
ある心理カウンセラーの人も記事に次のようなことを書いています。
「最近の若い者は、昔に比べれば、やっぱり非常に打たれ弱くなったのではないかなあ」
「学生時代に、縦社会が非常に厳しい運動部などに所属していた人が、上司のパワハラによって、適応障害になるということは非常に少ないです。」
「上司のパワハラによって、適応障害になってしまう人は、怒られた経験が少ないという人である、ということが多いです。」
僕は過労と上司のパワハラが蓄積して、ポッキリ折れて半年間休職しました。
結果的に打たれ弱かったということになって、いま出世ラインから完全に外されました。
自分を律して、感情をコントロールして、自分の心身の健康を維持する能力が欠けていました。
こういう僕自身、妻や娘に対して感情に任せて怒鳴り散らしたことが何度もあります。
娘に対して、「嫌なことや辛いことからすぐ逃げたり放り出したりしていたら、生きていけないよ」と言う。
そりゃ、打たれ強い人のほうが、打たれ弱い人より、社会的には優位に立つでしょうね。
しかし当然ながら、「叩かれて打たれ強く育てる」方法が、常に正しいとは限りません。
宮若市の塩川市長は、叩かれて打たれ強くなったのかもしれないが、人格まで歪んでしまった。
人格が歪んだ人物が、トップになってよいわけがない。
ある集団のなかから「選抜」するのに、この方法が用いられることはあります。
叩いて、振るい落として、生き残った者を「選抜」する。
たまたま、ある条件が重なって、その人が生き残ったという話です。
打たれ弱くて、結果的にドロップアウトしたかもしれませんが、その人にとっては、様々な不利な条件が重なって、落伍してしまったんです。
その人が弱かったわけではないんです。
いまこうやって、あらゆる組織で、「打たれ強くて、上にのぼり詰めたトップ」が逆に糾弾されているというのは、組織や教育のあり方に大きな変化が起きているということでしょう。
本日の記事は以上です。