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ビッグモーターの不祥事と終戦記念日

こんにちは、40代オッサンtrrymtorrsonです。

 

先日の8月15日、終戦から78年目となる終戦記念日を迎えました。

 

悲惨な戦争を二度と繰り返すべきではないというのはその通りなんですが、僕はちょっと違う見方をしています。

 

死力を尽くして戦って敗れた当時の日本人。

大袈裟ですが、それと自分の人生を重ね合わせて、敗戦から教訓を学び、良いことも悪いこともある人生を生き抜く決意を新たにする日にしたいと思います。

 

以前次のような記事を書いたことがあります。

 

trrymtorrson.hatenablog.com

 

亡くなった半藤一利さんの至高の論考が、文春新書の『あの戦争になぜ負けたのか』に掲載されています。

 

近衛文麿は開戦阻止のため、フランクリン・ルーズベルトとの首脳会談の途を探りました。

しかし、対米強硬派の右翼や陸軍将校や言論人、そして他ならぬマスメディアと国民世論によって阻まれてしまうという話です。

 

対米英開戦は軍部の独走により引き起こされたという説が一般的ですが、上のエピソードは、日本全体を包み込んだ米英への敵愾心が、巨大な同調圧力となったことを示しています。

戦争回避を模索した山本五十六など政府の要人は、過激派から暗殺の危機にさらされていたといわれています。

 

組織全体を覆った巨大な同調圧力の流れは、もはや押し戻すことが非常に困難になります。

 

ビッグモーターの数々の不祥事が問題になっています。

 

会社ぐるみの大規模な不正事件。

トップダウンの異常な同調圧力が、現場を逃避不可能の状況に追い込んでいきました。

 

 

ブログでは、「CHOCO LOG」さんが分かりやすくまとめられています。

 

hikaribatake.com

wedge.ismedia.jp

president.jp

 

【ビッグモーター公式HPより】

 

上の記事では、ビッグモーターを「奴隷社員を生むブラック企業」「昭和のカルチャーを引きずった時代錯誤の企業」と評しています。

最後のプレジデントオンラインの記事では、まさに組織の同調圧力の恐怖を指摘しています。

 

話は戦前に戻りますが、山縣有朋の指示で西周らが起草し、明治15年に明治天皇によって「軍人勅諭」が下賜されました。

これを補足するものとして、昭和16年、東條英機陸軍大臣のときに「戦陣訓」が作成、示達されました。

 

「戦陣訓」は、「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」という一節が有名です。

 

軍人勅諭」や「戦陣訓」は陸軍の現場においては絶対的な影響力を持っていました。

 

しかし、戦記作家の伊藤桂一氏の興味深いエピソードがあります。

 

昭和18年、中国戦線において戦陣訓を受け取った伊藤桂一陸軍上等兵(のち戦記作家)によれば、一読したあと「腹が立ったので、これをこなごなに破り、足で踏みつけた。いうも愚かな督戦文書としか受けとれなかったからである。戦陣訓は、きわめて内容空疎、概念的で、しかも悪文である。自分は高みの見物をしていて、戦っている者をより以上戦わせてやろうとする意識だけが根幹にあり、それまで十年、あるいはそれ以上、辛酸と出血を重ねてきた兵隊への正しい評価も同情も片末もない。同情までは不要として、理解がない。それに同項目における大袈裟をきわめた表現は、少し心ある者だったら汗顔するほどである。筆者が戦場で「戦陣訓」を抛(ほお)つたのは、実に激しい羞恥に堪えなかったからである。このようなバカげた小冊子を、得々と兵員に配布する、そうした指導者の命令で戦っているのか、という救いのない暗澹たる心情を覚えたからである。」と述べている。(Wikipedia

 

戦陣訓 - Wikipedia

 

この「戦陣訓」を彷彿とさせるのが、ビッグモーターの「経営計画書」です。

 

整備工場前では毎朝、従業員が一堂に会し、創業者で前社長の兼重宏行氏の経営思想が書かれた「経営計画書」を読み上げていたと言われています。

 

「教育」に志をもちこまないというのも、過去の歴史から学んだ知恵なのである。「技術」の伴わない「志」ほど恐ろしいものはないのである。(鷲田小彌太

 

戦前の日本が置かれていた状況、開戦に踏み切った背景。

 

強引にビッグモーター事件と絡めてみたんですが、開戦当時の日本もビッグモーターも、組織体制が異様な同調圧力に支配されていたと言ってよいでしょう。

 

本日の記事は以上です。