こんにちは、40代オッサンtrrymtorrsonです。
仕事が辛くなり5か月半の休職生活後、復職して4か月が経過しました。
休職前と休職後の変化は、仕事関係のトピックやニュース、世間のニュースや時事問題にサッパリ関心が無くなったということでした。
職場復帰して4か月も経つと、徐々に雑多なニュースに関心が出てきました。
今回はそのニュースネタです。
先日テレビで、「都立高校のツーブロック禁止の校則に批判や疑問の声」というニュースをチラッと見ました。気になったので書きます。
☟ツーブロックとは、こんな髪型のこと。
東京都予算特別委員会の質疑で、共産党の池川友一都議会議員が「なぜツーブロックはダメなのか」と質問。
藤田裕司教育長が「その理由といたしましては、外見等が原因で事件や事故に遭うケースなどがございますため、生徒を守る趣旨から定めているものでございます」と回答。
この動画が230万回以上再生され、「意味不明なルール」「ツーブロックで、事件や事故にあうデータがあるのでしょうか」といった批判や疑問の声があがって、話題になっているというもの。
この話題を取り上げたネットのニュースや情報番組では、教育長の答弁に問題があるとの論調が支配的なようです。
古市氏は「問題なのは、教育長という教育に携わる方が外見で人を差別してもいいっていうメッセージを堂々と発していることだと思うんですね」と指摘。そして「例えば性被害に遭った人に対して、ミニスカートが悪いという人がいるじゃないですか。でも実際それって被害者側に責任を負わせる発言だと思うんですね」と言い「ツーブロックだから犯罪に巻き込まれやすいっていうのは、本当に外見差別助長という意味で非常に問題だなと思う」とした。さらに、ツーブロック禁止を取り入れている都立学校があることに「髪形で子どもを管理できると思っているばかな先生がたくさんいるということですよね。本当に頭が悪いと思う」と強い口調で話した。(7.16スポニチアネックス)
池川都議は次のように主張しています。
「校則を決めるときに、生徒の声がほぼ聞かれていない。それが、一番の課題です」
「文科省は最終的に校則を決めるのは校長の権限であるとしています。ですが、会社であれば社長が最後に決めるとしても、その過程でいろいろな意見を聞くのではないでしょうか。校長が一方的に校則を押し付けて良いということにはなりません」
「事件や事故に遭うのを防ぐためという理由は、意味不明です。髪型が理由で事件・事故に遭うことなどあるのでしょうか? これは完全なミスリード、根拠のない校則だと思います」(BuzzFeed News)
池川都議はなぜこのような質問をしたのか?
都議会での質疑の目的を「校則は大人によって変わるものでなく、子どもたちの意見を聞いて変わっていくものだと伝えること」だったと語る。
「これを機に、校則は変えていけると知っていただきたい。今あるルールを受け入れることが全てではなく、ルール変えていくこともできるのだと議論になればと思います」(BuzzFeed News)
「なんでこんな校則があるの」という、いわゆる‟ブラック校則”の是非を言い出すときりがないと思いますが、どのニュースも情報が端折られ過ぎて、ちょっとずつ論点がズレてないでしょうか?
古市氏の発言も、池川都議の発言も、僕はなにか違和感を感じます。
なぜ、教育長の答弁に批判的な論調が多くなっているんでしょうか?
ちょっと議論を整理した方がいいと思います。
ツーブロックにも、「極端なツーブロック」と「見た目がほとんどそれと分からないツーブロック」がありますよね。
教委側は、まず「極端なツーブロックは禁止」とすべきです。
それは、「モヒカン禁止」「リーゼント禁止」「赤髪禁止」というのと同じです。
常識的に見て「これはあかんやろ」というツーブロックはダメということです。
教育長は、非常に苦しい答弁をしてしまった。
それを古市氏のように、本気で揚げ足を取りにいくのは、あまり意味のないことだと思います。
また、池川都議の「校則を決めるときに、生徒の声がほぼ聞かれていない。
それが、一番の課題です」というのも、違和感がある。
「モヒカン禁止」「リーゼント禁止」「赤髪禁止」とするときに、いちいち生徒の意見聞く必要ありますか?生徒の多数決で決めますか?
そもそも、この問題の論点を「教育長の答弁内容の是非」にすること自体が、僕にはとてもズレている感を感じます。
まず、「ツーブロック禁止」でも何でもいいですが、校則で決まっているならそれに従わなければならない、ということが前提ではないですか?
そのうえで、どうしてもツーブロックにしたいなら、「申し訳ありませんが、私は校則に従うことはできません」と堂々と反抗するべきです。
世の中には、有無を言わさず厳然と存在するルールがある。
かなり飛躍しますが、戦時中に「戦陣訓」というものがありました。
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このなかの「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」という一節が有名です。
これが、ガダルカナルやサイパン、硫黄島などの玉砕や沖縄での住民の自決などの一因となったか否かが議論となっているようです。
戦陣訓が「玉砕」や「自決」を強要したのか?
「玉砕」や「自決」が狂気の沙汰だったのか?
そういう議論はともかく、戦中の日本人には、極限状態の中で、捕虜になる前に死を選ぶか、恥を忍んで生き延びるか、の二者択一というルールが厳然と存在していました。
そういう時代に比べたら、校則を守っても恥ではないし、校則を破っても自決を迫られるわけではありません。
こういった校則の議論は、なんかぬるいズレた議論だな、と思わされます。
守りたいヤツは守ればいいし、破りたいヤツは破ればいい。それだけに過ぎないことを、わざわざ都議会で議論するのはどうでしょう?
本日の記事は以上です。