こんにちは、40代オッサンtrrymtorrsonです。
復職して一か月経過しました。まだ慣れなくてキツイです。
復職してからは、綿密に1日のタイムスケジュールを立てて、それを実行していく。
残業は避けて18:00に帰宅し、子どもの面倒をちょっとみたり、家事をちょっと手伝って、さらに自分の趣味というか日課を入れ込んでいきます。
ポイントサイト巡回30分、メールチェック100通30分、写真AC(Photo AC)投稿30分、ブログ記事作成60分、5,000歩歩く30分、読書60分、という具合に詰め込んでいきます。
しかし、これをこなしていくのが結構しんどくなってきました。
定時に帰っても、仕事しながらブログの記事を毎日書くのは、なかなか至難の業です。
子どもはコロナ対策で3人とも在宅。
子どもに振り回されて妻が疲弊してきました。
僕はヘタレのため、帰っても仕事で疲れて家のことはほったらかしなので、妻がキレ気味です。
僕は半年前、仕事が辛くなり、ある種の適応障害状態となりました。
以前の記事でも書きましたが、その後休職してからは、身の回りのことや読書などは普段と変わらずできていましたが、新聞やテレビの時事ニュースにはほとんど興味が湧かなくなりました。
もちろん休職前に担当していた業務上の課題にも無関心になりました。
復職してからはそうはいきません。
家も職場もコロナウイルスの対応に迫られています。
世の中の動き、時事問題にも徐々に当たっていかざるを得ません。
子ども、家族、学校、地域はどうなっていくのか。
そんななか読んでいるのが前屋毅著『ブラック化する学校』という本です。
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少子化なのに、なぜ先生は忙しくなったのか?
おお、何故だろうと思いませんか?僕も思ってました。
僕が思うに、戦前戦後の教育は「軍隊の規律」という一つのものさしで当たれば良かった。
しかし、「軍隊的教育」が崩壊してからは、学校が「第二の家庭」を担わなければならなくなった。
そのため、子ども一人ひとりに合わせたものさしを用意しなければならなくなる。
ざっくり言うと、それで先生は忙しくなったんだと思います。
著者の前屋さんは、1954年鹿児島県生まれのフリージャーナリスト。
立花隆氏や田原総一朗氏の取材スタッフ、週刊ポスト記者を経て、フリーに。
教育、経済、社会の問題をテーマに取り組んでいるそうです。
小学校教員の1日の平均労働時間は13時間。
しかも基本的に残業代なし。
土日も部活の指導(しかも給料が付かない)。
書類事務が多い。
そして、本書の帯に、‟親、教師だけの問題じゃない!子どもの学ぶ環境を歪ませている意外なものとは?”とある。
「意外なもの」とは何だろう?
小中学校の教員にとって負担になっている意外なものとして連合総研がまとめた調査結果が挙げられていますが、第一位が「保護者・地域からの要望等への対応」だそうです。
小中学校の教員にとって負担になっていること第一位「保護者・地域からの要望等への対応」
私は娘が3人いますが、基本的には学校と先生を信頼しているので、特に学校への要望はありません。
いったいどこのどいつが、どんな要望をしているんでしょうか?地域からの要望って何?
なんとなくですが、閉じられた学校ではダメだから、地域社会と交流することで学校は地域に対して、地域は学校に対して役割を果たそう、みたいな話でしょうか。
この取り組み必要ですか?
文科省の有識者会議で「自殺予防、いじめへの対応を最優先の事項に位置付ける」としています。
これに対して著者は次のように指摘しています。
これが最優先なら、授業の準備や学校行事は「二の次にしていい」ということになる。しかし、そんなわけにはいかない。教員にとってはあれもこれも最優先である。最優先が一つ増えただけなのだ
これで教員は疲弊しています。
教育予算の削減です。
慢性的な教員不足、非正規教員の増加で学校の運営体制がいびつになる。
頭数だけ増やすために年収80万ほどの非正規職員が増えている。
子ども、子どもの親、地域に対する責任が一人の正規教員に集中し疲弊させている。
そして、過労死の問題、精神疾患による休職が増加している。
さらに、プログラミングや英語教育など、新しい社会に対応する多様で優秀な人材を育成する必要がある。
先生と子どもに依然として競争を強いているのは、こういった産業界の要請である。
本書では、IT人材の不足などを背景にして、産業界が求める人材像が、結果としていびつで根深い問題を生み出していることを指摘しています。
本書は学校現場、教員が疲弊に追い込まれる事例がこれでもかと紙面を埋めています。
ここで冒頭の問いに戻れば、「少子化なのに、なぜ先生は忙しくなったのか?」。
学校の先生を取り巻くブラックな現状がどういう構造から引き起こされているのか?
上記のように文科省、財務省、そして産業界の働きかけが、学校現場に過度の負担を強いているように思います。
残念なのは著者が本書の最後で次のように結んでいることです。
学力や入試だけが学校のすべてではない。
もっと子ども一人ひとりの可能性を広げる環境づくりについて真剣に考えるべきときにきている。
保護者と教員が視野を広げ、本当に子どもの成長を支援する学校づくりを考え、実践することが、学校の可能性を広げることにつながる。
まさにこの考え方自体が、本書全体で書いてきた学校のブラック化を助長しているのではないかと僕は思うのです。
ところで、今回の新型コロナウイルスの対応による前例のない長期休校で、本書が問題にしている事柄は吹っ飛ぶのではないかと思います。
学校も社会も大きな変化を迫られています。
この機会に、学校教員はもとより、働く人を疲弊させている無駄な仕事が一掃されることを望みます。
本日の記事は以上です。
☟『ブラック化する学校』前屋毅(青春新書/青春出版社)