こんにちは、40代オッサンtrrymtorrsonです。
僕はメンタル不調により休職に追い込まれたわけですが、Amazonのブックレビューで賛否両論、物議を醸した1冊を紹介します。
『「私はうつ」と言いたがる人たち』(香山リカ 著)です。
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僕が休職に至る前の半年間は、異動先での慣れない仕事、プレッシャーをかける上司、シビアな仕事内容などで、気が休まる暇がなく、平日は残業、土日もイベントか残務処理でほとんど出勤、自宅にいても仕事のことが頭を離れない毎日が続きました。
最終的には上司との関係でひどく疲れた、仕事のやる気が起きない、出勤したくないという状態になりました。
そして、隣町の心療内科に駆け込み、職場に診断書を提出。
診断名は「不安・抑うつ状態」で休職に至りました。
本書は2008年7月出版。
既に10年以上経過して情報としては古いのかなあと思わせます。
今のように「働き方改革」などということが言われるようになるとは全く想像できなかったのでしょう。
香山さんが主張することは次の通りです。
――ある日の診察室。「私うつ病みたいです。休職したいので、診断書ください!」。この思い込みにまわりは迷惑、ほんとうに苦しんでいる人が泣いている。仕事を休んでリハビリがてらに海外旅行や転職活動に励む「うつ病セレブ」、その穴埋めで必死に働きつづけて心の病になった「うつ病難民」。格差はうつ病にもおよんでいる。安易に診断書が出され、腫れ物に触るかのように右往左往する会社に、同僚たちはシラケぎみ。はたして本人にとっても、この風潮は望ましいことなのか? 新しいタイプのうつ病が広がるなか、ほんとうに苦しんでいる患者には理解や援助の手が行き渡らず、一方でうつ病と言えばなんでも許される社会。その不自然な構造と心理を読み解く。
精神科医であるはずの著者が、受診に来た人を「仮病」だと断罪する内容ですね。
ちょっと紹介文を読んで違和感を生じます。
うつ病を理由に好きな職場に移りたいと主張する患者さんがいて、ゴネ得になっていると指摘し、「モンスターペイシェント」と比較するくだりがあります。
僕は心療内科に受診した経験上、「人気の職場」をあえて希望し、その願いがかなうというケースがそうあるわけないと思います。
「うつ病」になりたがる人そのものも現実にいるはずがありません。
堀江貴文氏は著書『お金や人脈、学歴はいらない!情報だけ武器にしろ。 』で、次のように書いています。
「自分とは反対派」の意見にあえて触れる行為を、僕は「ノイズを入れる」と呼び、習慣化している。心の中に生じる違和感が、よい意味で刺激となってくれる。自分の考えに近い情報(意見)ばかりを集めれば、誰だって心地いいし、安心できる。けれどもそんな情報ばかりにひたりきっていたら、批判性や批評性や、巧みに反論するような論理性は育ちにくい。
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香山さんの本を読んで不快になる人も多いのではないでしょうか。
僕にとって『「私はうつ」と言いたがる人たち』こそ「ノイズ本」ですね。
香山さんの主張は、論点が精神科医のものではなく社会学者のものです。
確かに10年前は、うつ病はゴネ得、こういった見方が多かったと思いますが、果たしてこの見方は正しいのだろうか。
それはさて置いたとしても、メンタル不調を「仮病」だとみるのは、メンタル不調を経験したことも、診察したこともない者の見方ではないのか。
また「穴埋めで必死に働きつづけて心の病になったうつ病難民」というが、「穴埋めするために必死に働きつづけること」そのものが正しいのかどうか、香山さんは疑問視していません。
僕はメンタル不調経験者の立場から、仮病だというふうに見られても、もはや気にしません。
言いたい奴は言わせておけと。
香山さんの主張に憤慨するつもりもありません。
これまでの記事で書いたように、40代前後のビジネスマンが働く今の環境は、高度経済成長期や団塊世代が働いていた時代と違うということ。
今の時代、仕事の成果が出ない、ベテランビジネスマンでさえ会社にエンゲージできないことがあり得るということ。
日本の労働環境がドイツやフィンランドと比較して劣悪だということ。
これは主張しておきたいですね。
精神を病んで最悪のケースに至る場合もあるというのに、香山さんは滅私奉公を推奨するのか。そんな主張に何の意味があるのかと思いますね。
本業へのエンゲージをほどほどにして、「他人の人生」ではなく「自分の人生」を生きる、それでいいと思っています。
諸外国に比べて劣悪な日本の労働環境が改善されて、誰もが働きやすい社会になってくれることを願います。
本日の記事は以上です。
☟『お金や人脈、学歴はいらない!情報だけ武器にしろ。』堀江貴文(ポプラ新書)