仕事したくない事務職のオッサンのビジネスブログ

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「働きたくないけど働かないといけない」もっと自分の感情に目を向けよう。自分を掘り下げていこう

こんにちは、40代オッサンtrrymtorrsonです。 

 

休職していたとき、「働かないといけないけど働きたくない」「働きたくないけど働かないといけない」ということを考えていました。 

休職期間が長くなってしんどかった時期がありました。

 

しんどさの正体は何だったのか。

組織に所属していない不安、元の通り復職して仕事ができるのか、8時間以上も職場に居て耐えられるのか、復職して朝起きて出勤できるのか、上司と顔を合わせられるのか、同僚からどう思われるのか、仕事でまた失敗しないか、今まで通り子どもの世話が出来るのか・・・。こういったことでした。

 

すでに復職して8ヶ月が経ち、色んな不安はようやく解消してきました。

 

「世間体が気になる」

「人の目が気になる」

以前、宮崎哲弥さんの『ビジネスマンのための新・教養講座』を読んだら次のように書いていました。

 

社会哲学者の今村仁司によれば、「働きがい」、働きの価値は、労働そのものを源泉とするわけではなく、詰まるところ他人から評価されたい、他人に承認されたいという欲望に根差しているという(『近代の労働観』岩波書店1998年)。

私は今村の議論の説得性を承知しながらも、若干の疑義を持っている。たとえば職人気質を考えてほしい。誰がその手間を認めてくれるわけでもない。誰がその労に報いてくれるわけでもない。しかし、妥協して楽をするよりも、よい仕事をして満足を得たい。そういう職人の意気地は、今村の他者承認説では十分に説明できないと思うのだ。

仕事の喜び、「働きがい」は、じつは自分、家族、職場、社会......といった人と人との関係性ではなく、人とモノとの関係性のなかに見出されるのではないか。もちろんここでいうモノとは、実体としての物だけではない。事務や経営そのものでもよい。モノとは労働の客体である。そうしたモノと人との対話のなかにこそ、「働きがい」、仕事の価値の源泉があると私は思う。

 

仕事はモノとの対話だ。人の目は気にしなくてよい。

これはなかなかよい考え方だと思います。

 

色んな不安はようやく解消してきましたが、仕事で挫折して半年間の休職経験は客観的に見て大きなマイナスです。

職場復帰して半年になりますが、このマイナスを少しずつ取り戻す日々。

仕事には全力で取り組めませんし、その気は失せました。

メンタル不調を理由にして休み休みの仕事ぶり。一進一退です。

 

マイナスからの出発。

普通に仕事して、やっとプラマイゼロというところです。 

休職したという事実は消えません。

同僚はそういう目で見ているという想念が脳裏から離れません。

 

プラマイゼロに戻しても、以前のようにイキって仕事をする心境ではありませんし、ゼロからプラスを積み上げていこうという意欲もありません。

 

「自分が好きなことは何か?」「嫌いなことは何か?」をよく見極めて、「好きなことだけを追及して生きていく」ことで、嫌いなことも好きになることが出来る。

社会人になってからも、オッサンになってからも、「仕事が遊びになり、遊びが仕事になる」というのが理想ではあります。

 

森博嗣さんの『「やりがいのある仕事」という幻想』には次のように書いてありました。

 

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Q 働きたくないのですが・・・

「もしできるならば、働かずに自分がやりたいことだけをして人生を送りたいのですが、どうしたら良いですか?ベーシック・インカム早く導入してほしいです」

 

A 基本的なことをいえば、人間は自分がやりたいことだけをして生きていける。スキーがしたい人は、たぶんスキーで滑るときが楽しいのだと思うけれど、スキー板を担いでまた山の上まで登らなければ、続けて滑ることができない。リフトがあるけれど、これは金を取られるので、面白くないだろう。でも、そういうものを全部ひっくるめて、「スキーをしている」と言えるのだと思う。

やりたいことをするには、まず、布団から出て起きなければならない。服を着なければならないし、食事もしなければならない。やりたいことをするための準備もある。体調も整えなければならない。楽しいからといって無理をすると、躰を壊してしまう。いくら好きでも、ずっとそれをすることはできない。これらも全部ひっくるめて、「やりたいことをしている」と言うのである。

やりたいことをするための準備というものがあるように、仕事だって、やりたいことをするための手段にすぎない。だから、やりたいことがあれば、仕事も自然にやりたいことに含まれるだろう

ベーシック・インカムというのは、既に今の世の中には導入されていると考えた方が良い。最低限生きていくことはできるようになっている。ただ、手続きが面倒なだけだ。

もし、やりたいことには資金が必要だ、という場合には、これはそれだけの金を稼ぐ方法を探さなければならない。それも「やりたいこと」の一部だと認識するしかない。そうまでしてやりたくない、というのなら、それは「本当にやりたいこと」とはいえない。

誰でも、自分が望むとおりの人生を送っている。愚痴を言ったり、不満があると思い込んでいるだけで、基本的に、いつも自分が「望ましい」と選択した道を進んでいるのである。

 

好きなことがないから仕事をするのが辛いのではないか?働きたくないのではないか? 

 

仕事はやりたいことをするための手段にすぎない。

やりたいことに資金が必要であれば、働いて稼げばよい。

 

仕事が辛い、働きたくないというのは、「やりたいこと」がないということの裏返しなんですね。

 

まだ掘り下げが甘い。もっと自分の感情に目を向けよう。

もっとやりたいことや好きなことを紙に書きだして、日記を書いて内省して、自分を掘り下げていこう。

 

40代半ばのオッサンですが、気持ちは20代でいきます。

 

本日の記事は以上です。

 

 ☟『「やりがいのある仕事」という幻想』森博嗣 著(朝日新書