こんにちは、50代オッサンtrrymtorrsonです。
今回はブックレビューです。
『世界は経営でできている』(岩尾俊兵 著)です。
非常に興味深いタイトルです。
岩尾さんは、人生の日常の悲喜劇が、すべて経営概念で説明できるというアイデアからこの本を書かれています。
岩尾さんは東京大学大学院で博士号を取得し、現在慶応義塾大学商学部准教授を務め、著書多数です。
本書では、家庭や恋愛や仕事、芸術や科学、健康や老後などの一見脈絡のないテーマについて、しかし人生の難問について、経営学の目線で説明する軽快な17編ほどのエッセイ集としてまとめ上げています。
それぞれのテーマが興味深いものばかりですが、ここではズバリ「仕事は経営でできている」という章を取り上げたと思います。
仕事は経営でできている
世の中の九割九分九厘の人は仕事をしていない。
その筆頭はもちろん私である。
正確には人間の労力や時間のほとんどは、一応「仕事」という名前がついているだけの、何のために/誰のためにあるのかよくわからない無意味な「作業」ないし「運動」で費やされている。
たとえばエクセルを開いて、閉じて、開いて、閉じてという指先ラジオ体操で今日の貴重な一日を終えた人は日本だけでも百万人以上いるだろう。
もしかしたらこうした時間の無駄に耐えられず、「こんな仕事、意味あるんですか」という禁句を発して上司に食ってかかった人もいるかもしれない。
こうした状況において、大抵の場合、上司は「規則だ」とぶっきらぼうに返事するだけだろう。
というより上司だって、役員だって、取引先だって、意味不明な仕事を会社に強制してきた規制当局だって、誰も「その仕事が何のために必要なのか」も分かっていないのだからそう返答するしかない。
冒頭から、もうそのものズバリ「世の中の九割九分九厘の人は仕事をしていない」と。
まさにそのとおり。
「エクセルを開いて、閉じて、開いて、閉じてという指先ラジオ体操で今日の貴重な一日を終えた人は日本だけでも百万人以上いるだろう」
この描写は痛快そのものです。
まさに今の僕がこの「指先ラジオ体操」状態なのですから。
次から岩尾さんは、話の本題に入っていきます。
J.T.C.:顧客不在の仕事は「運動」にすぎない
(中略)本当の仕事は(消費者だけではなく、取引先や上司、社内の別部署など広義の)顧客を生み出し顧客を満足に/幸せにして、その対価として顧客が喜んで報酬を支払ってくれるようにすることだ。
それができなければ、やがては組織を維持するためにかかる費用を捻出する原資がなくなる。
顧客を広い意味でとらえれば、経理/法務/総務/人事といった一見すると顧客を持たないように思われがちな部署もまた、社内の別部署や役員会などを顧客として仕事をしている。
会社で働く個々人も、目の前のお客様、上司、同僚などなど、どのような仕事でも顧客を想定できるはずである。
というより、どうみても顧客がいない仕事は「エクセル開閉体操的な何か」でしかありえない。
多くの人が「仕事に行きたくない」「働いたら負け」と愚痴をこぼすのは内実としてはこの「無意味な作業」に対してであり、創造的な仕事が嫌いだという人は少数派だろう。
そうでなければ、なぜこうした人たちが休みの日にスポーツや芸術といった「創造的な仕事」に(自分でお金を払ってまで)従事するのか説明がつかない。
だとすれば「仕事という名前がついているだけの何か」を減らし「真の意味での創造的な仕事」の割合を増やせば、驚くべきことに(しかし論理と割り算さえわかれば誰でも理解できるとおり)、「世の中に提供できる付加価値が増加しつつ仕事も楽しくなる」というパラダイス的/ご都合主義的すぎて疑いたくなるような状況が得られるわけだ。
だが現実の会社生活・社会生活においてこれに気が付かない人があまりにも多い。
だからこそ、もう終わってしまったことを責めるためだけの会議のような、無意味の極致に手を染めてしまう。
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裸の王様組織:「制度的無能状態」という落とし穴
もちろん新人に対して社会人の自覚を持たせるための叱咤激励は必要だ。
だがそれは「三手目」でいい。
一手目はとにかく顧客の信頼を回復する策を練ることだ。
二手目はこうした事態が起こった要因の分析と、営業活動が上手い課員の成功要素を抽出して他の課員(特に新人)と共有することである。
そうした対策を練らないと何度も同じ失敗を繰り返すだけだ。
たとえば、自動車の運転においても、「事故を起こすな」という標語は何の意味もない。
「飲んだら乗るな」「スピード出しすぎ注意」といった事故原因の分析に基づいた対策標語こそが必要となる。
仕事もこれと同じことだ。
それどころか、変えられない過去を責め続けると、次から失敗は巧妙に隠されるようになる。
失敗は上司が気付いたときには取り返しがつかないほどに肥大化するようになる。
ここまで読んで、自分もこれまで仕事ではない何かを作りだしてきたかもしれないと気まずさを覚える人もいるだろう。
その何倍もこうした何かに苦しめられてきた苦い記憶を思い出した方も多いだろう。
残念なことに、むしろ無意味な何かを生み出すことを仕事だと思っていたり、恐ろしいことにこれこそが経営だと思っていたりする人もいる。
なぜここまで会社には真の意味での仕事/価値を創り出す「経営」をおこなっている上司がいないのだろうか。
その一つの理由は、次に示すような「人は無能になる職階にまで出世する」という数理的に証明できる法則があるためである。
条件1:組織はピラミッド状であり複数の階層(職階)が存在すると仮定する。
条件2:ある職階において最も成績が良かったものがより上位の職階に就く(成績が悪い場合にも降格・解雇はされない)と仮定する。
条件3:複数の職階において求められる能力はそれぞれ異なると仮定する。
条件4:個々人が持つ能力値はランダムに割り振られ、異なる能力間に相関関係はないと仮定する。
これらは特に現代の官僚制組織ではありそうな状況だろう。
さてこの四つの仮定が揃うとどうなるか。
まず特定の職階で優秀だったものが次の職階でも優秀である確率は低い。
ただし上位階層のポストの数は少ないのでこれ自体はあまり問題でもない。
問題なのは、確率論的にいって「特定の職階では優秀だったが次の職階では優秀でない人」が多数いるということだ。
彼らは新しい職階では評価されないため、さらに上位の職階に進まずに適性のない職階にとどまることになる。
こうしたことがあらゆる職階で起こると組織の上層部は無能だらけになるわけである。
数理的にいっても職階の数が多い組織ほどこうなる。
ただしこれはあくまで先ほどの四つの条件が揃った場合であり、現実の健全な組織はこうした罠に陥らないように四条件のうち一つ以上を回避する手を打っているはずである(たとえば、組織で働くすべての人が本書を読むことで普段の仕事を経営視点で捉えるようになることでも、条件3・4の仮定は簡単に崩れる)。
といって仕事における喜劇の数々に苦笑しているばかりではいけない。
上司が無能だと笑うのは簡単だが現実はそう単純でもない。
おそらくすべての人が大なり小なりこうした無意味な仕事もどきを作りだしている。
本当の責任はすべての人にある。(以下、省略)
長くなり過ぎたので途中で止めました。
数理的に証明できる法則「人は無能になる職階にまで出世する」
なるほど、このように出世のメカニズムそのものに矛盾が存在する。
苦手だから能力を発揮できないポジションで出世が止まってしまうので、そこでスタックしてしまう。
「適材適所」という理想とは逆の現象が起こってしまうわけですね。
そして、あらゆる会社組織が機能不全に陥ってしまうのです。
岩尾さんはこれを「制度的無能状態」と呼んでいます。
果たして本当に岩尾さんの言うように、「制度的無能状態」が数理的に証明できる法則かどうかはなお議論があると思いますが、出世できない僕のような平社員にとって何か妙に腹落ちする話です。
ということは僕自身は、会社の仕事の初歩の初歩的な段階で無能扱いされているという笑えない状況なわけですが。
ともかく、岩尾さんはこのように、シニカルでユーモアあふれる短話をたくさん書いておられます。
非常に軽い気持ちで読めるのですが、実はこの本は、岩尾さんがそれぞれのテーマに沿った膨大な数の参考図書を読み込んで書かれているのです。
各章にその参考文献が書かれていて興味深いものばかりです。
さらにあとがきには、各節のタイトルにおいても、さまざまな文芸作品、映画作品、哲学書などから取ったパロディとして作られていることが明かされています。
恐れ入ります。
自分自身の人生や仕事上の難問について深刻に捉えるのではなく、悲喜劇やパロディとして捉えることで、肩の力を抜くことができる作品となっています。
必読です。
本日の記事は以上です。
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