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『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』橘玲 著

こんにちは、40代オッサンtrrymtorrsonです。 

 

橘玲さんの代表的な著作の一つです。

 

本書は、この世界は残酷だという書き出しで始まります。

 

貧困、ストレス社会、孤独、過労死、自殺。

 

これらの問題に対して、経済学から進化心理学までを横断的に駆使して一つの解決策を提示しようというものです。

進化心理学とは、遺伝学、生物学、動物行動学、脳科学などの成果を踏まえて発展させたもので、進化生物学、社会生物学とも呼ばれます。

 

カーネギーデヴィッド・リカードダーウィンから勝間和代まで、数多くの学者や著名人の言説からヒントを得て、弱者がサバイバルするための戦略を解き明かす。

なぜ我々は不幸から逃れられないのか?幸福とは何か?

『お金持ちになれる黄金の羽の拾い方』、『貧乏はお金持ち』と並んで、橘さんの代表的な作品です。

 

本書は、上の2冊と合わせて、生き辛さを感じている多くの日本人必読ですね。

 

「伽藍を捨ててバザールに向かえ!」

「恐竜の尻尾のなかに頭を探せ!」

 

本書の終盤にこの意味が明かされます。

この本は2010年発行ですからもう10年以上前のもので、今では広く一般化している論点も書かれていますが、それでも必読です。

 

考えるべき多くの論点を提示してくれていますが、まず僕が本書で感銘を受けたのは、「愛情空間」と「貨幣空間」の話です。

 

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当たり前のことだけれど、僕たちにとっていちばん番大事なのは、家族や恋人などとの関係だ。

ここではそれを、「愛情空間」と呼ぶ。愛情空間のまわりには、親しい友だちとの「友情空間」がある。

ところでぼくたちには、「友だちではないけど他人でもない」という人間関係もある。

先輩・後輩や上司・部下を含めたこうしたつき合いを、愛情や友情とまとめて「政治空間」と名づけよう。

「政治空間」は、敵と味方の世界でもある。

政治空間の向こうには、茫漠とした「他人」の世界が広がっている。

その範疇には、毎日挨拶する八百屋のおじさんや、テレビの映像でしか知らないアフリカの難民などがいるが、ぼくたちは家族や友だちと比べて彼らのことをほとんど気にかけない。

とはいえ、ぼくたちは彼らとまったく無関係に生きているわけではない。

地球は市場によって覆われていて、ひとびとは貨幣を介してつながっている。

あなたがスーパーの安売りで買ったセーターの生地は、アフリカの工場で織られたものかもしれない。

だから他人によって構成され、貨幣でつながるこの世界を「貨幣空間」と呼ぼう。

 

世界は、「愛情空間(友情空間や政治空間を含む)」と「貨幣空間」で構成されている。

まず、このように理解することが大前提なのだ。

 

愛情空間や友情空間はせいぜい半径100メートルほどの狭い人間関係だが、それが一番大事なのは、遺伝的にも進化論的にも人間にインプットされているからだ。

一方、貨幣空間はお金を媒介にして交易することで、原理的にその範疇は無限大だ。

しかし、愛情空間と貨幣空間は、その大きさと価値が指数関数的に逆転しているのだ。

 

戦国時代や三国志の世界で描かれる権力ゲームの目的は、集団のなかで一番になること(国盗り)と、異なる集団の中で自分の集団を一番にすること(天下平定)だ。

もちろんみんなが勝者になれるわけはないから、集団のなかでどのように振る舞うかもこのゲームでは重要になる。

この権力ゲームの行われるフィールドが政治空間だ。

それに対してお金儲けゲームの目的は、与えられた条件のなかでもっとも効率的に貨幣を増やすことだ。

権力ゲームは勝者総取りが原則だけれど、お金儲けゲームはなにがなんでも一番を目指す必要はない。

べつに世界一のお金持ちになれなくても、そこそこ裕福な暮らしができればみんなハッピーなのだ。

このゲームのフィールドが貨幣空間になる。

政治空間には愛情や友情だけでなく、嫉妬や憎悪、裏切りや復讐などのドロドロとした感情が渦巻いている。

恋愛から戦争まで、人間ドラマのすべては政治空間で繰り広げられる。

それに対して貨幣空間は、お金を介したコミュニケーションだから、ものすごくフラットだ。

権力ゲーム(統治の倫理)は、ほとんどのプレイヤーが敗者として淘汰されていく極めて割の悪いゲームだ。

これに対して貨幣空間では、まったく異なるルール(市場の倫理)が支配している。

 

橘さんが言うように、愛情空間は人が進化の過程で生存するために獲得したものだから一番大事です。

しかし、愛情空間は同時に政治空間でもあります。

嫉妬や憎悪、裏切りや復讐などのドロドロとした感情が渦巻いていて、ほとんどのプレイヤーが敗者として淘汰されていく極めて「割の悪いゲーム」なのです。

 

金持ちは腹黒くて、貧乏人は純粋無垢だと、ぼくたちは当たり前のように考えている。

時代劇に出てくる悪代官のように、金持ちは貧乏人を搾取して富を蓄えたに決まっているからだ。

ところが金持ちと貧乏人を比較調査すると、金持ちの方が他人を信用し、貧乏人は疑い深いという困った結果が出る。

金持ち=悪代官モデルは、富を権力ゲームの結果だと考える。

政治空間では、誰かから富を奪うことでしか豊かになれないから、搾取や収奪が生じるのは避けられない。

ところが現実には、政治空間(搾取)よりも貨幣空間(交易)ではるかに大きな富が創造されている。

貨幣空間には、政治空間とは異なるルールがある。

となれば、そのゲームに習熟した人が金持ちになるのは当たり前だ。

政治空間の権力ゲームでは、仲間(友だち)から排除されることは死を意味する。

いじめが常に死を強要し(「死ね」はいじめのもうひとつの常套句だ)、いじめられっ子がしばしば実際に死を選ぶのは、人類史(というか生物史)的な圧力の凄まじさを示している。

友情は、決してきれいごとじゃない。

それに対して貨幣空間は「友情のない世界」だから、市場の倫理さえ遵守していれば、外見や性格や人種や出自は誰も気にしない。

学校でいじめられ、絶望した子供たちも、社会に出れば貨幣空間のなかに生きる場所を与えられる(そしてしばしば成功する)。

これはとても大切なことだ。

 

僕たちが生き辛さを感じるのは、愛情空間と貨幣空間を一緒くたにして、または愛情空間を過剰に意識しすぎて、自ら割の悪いゲームに参加しているからなのです。

市場と交易のルールが支配する貨幣空間に活路を見いだそうというのが、橘さんの主張です。

 

橘さんは、愛情空間(政治空間)と貨幣空間の二者択一を言っているのではありません。

生物史的に愛情空間(政治空間)が大事なのは決定されているし、貨幣空間で敗者となり、愛情や友情も失ってしまう怖さを書いています。

 

しかし、橘さんが書いているように、「世界はよりフラット化し、人間関係はますます希薄になり、政治空間は貨幣によって浸食されていく」。

 

この巨大な潮流は、誰にも止められないのです。

 

本日の記事は以上です。