こんにちは、50代オッサンtrrymtorrsonです。
今年もあと2週間を残すのみとなり、今年の読書目標冊数をクリアするため、仕事を半年間休んだときに読んだものを読み返しています。
サイコパス上司のパワハラで休職に追い込まれて5年が経過しましたが、あらためて原点回帰という意味で。
休職してまもなく読んだ本はたくさんありますが、そのなかの一冊で、田口佳史さんという東洋思想家の方が書いた『東洋思想に学ぶ 40代から人として強くなる法』という本を読んでいます。
僕はもうすでに50歳を超えてしまいましたが・・。
多忙なビジネスマンを東洋思想の観点から精神的に鼓舞する内容で、休職当時の弱ったメンタルでは、なかなかピンとこない点も多々ありました。
あらためて読み返してみると、随所に『論語』『老子』『孫子』といった東洋の古書、名著から引用されて、なかなか骨太でユニークなビジネス書となっています。
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この本に、『菜根譚(さいこんたん)』という中国明代の随筆から引用された箇所があります。
これがなかなか興味深かったのでご紹介したいと思います。
仕事がしんどかったり、挫折したり、また人間関係が辛かったりして、自分を責めてばかりの人には知ってもらいたい。
『菜根譚』にこんな一文があります。
「巧を拙に蔵し、晦を用て明とし、清を濁に寓し、屈を以て伸と為す。真に世を渉るの一壺にして、身を蔵すの三窟なり」
(こうをせつにかくし、かいをもってめいとし、せいをだくにぐうし、くつをもってしんとなす。まことによをわたるのいっこにして、みをかくすのさんくつなり)
これは「世渡りの極意」をズバリ表現したものです。
すぐれた才能を持っていても、そんなふうはおくびにも出さない。
表面的にはぼんくらに見えて、じつは見識が高い。
世俗の垢にまみれながらも、清く正しく生きる。
小さくなって生きているようで、じつはのびやかで自由な心を持っている。
こんなふうに身を処すことが、世間の荒波から身を助ける浮き袋になる。
また、わが身を安全に隠す三つの穴にもなる。
そういう意味です。
『菜根譚』(さいこんたん)は、洪自誠(洪応明、還初道人)による随筆集で中国古典の一つ。前集222条、後集135条からなる中国明代末期のものであり、主として前集は人の交わりを説き、後集では自然と閑居の楽しみを説いた書物である。別名「処世修養篇」(孫鏘(そんしょう)の説)(Wikipedia)
わが国には、世の中には、世間に破れて、不遇に巻き込まれて、生活も楽にならず、自尊心を失って、死ぬまで負け組の日陰でひっそりと生きていくしかないのかというような、生きていく自信を失ってしまっている人がたくさんいます。
僕も含めてですが、SNSの相互フォローの人たちも、「もうダメだ・・」状態の人がたくさんいます。
しかし実は、「すぐれた才能を持っている」「見識が高い」「清く正しく生きる」「のびやかで自由な心を持っている」という人たちばかりだというのを確信します。
自分自身そのように思いたい。
自己評価と客観評価のギャップに苦しんでいる人がたくさんいます。
なかなか世間に認められず、冷や飯を食っている人がいかに多いことか。
自らの自尊心、存在意義というものを、世間のモノサシ、比較評価で測ってほしくない。
「すぐれた才能を持っていても、そんなふうはおくびにも出さない」
「表面的にはぼんくらに見えて、じつは見識が高い」
「世俗の垢にまみれながらも、清く正しく生きる」
「小さくなって生きているようで、じつはのびやかで自由な心を持っている」
非常に硬派で辛口の田口さんですが、『菜根譚』を引用して、こんなふうに身を処すことが、「世渡りの極意」だと言っているんですね。
「巧を拙に蔵し、晦を用て明とし、清を濁に寓し、屈を以て伸と為す。真に世を渉るの一壺にして、身を蔵すの三窟なり」
『菜根譚』のこの一節を内に秘めて、希望を絶やさずに生きたいものです。
本日の記事は以上です。
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