こんにちは、40代オッサンtrrymtorrsonです。
復職して半年が経ちました。
僕は新型コロナウイルスが流行する半年前から仕事で挫折して休職生活に移行、つまりステイホーム生活に入っていました。
身の回りの棚卸し作業をしています。
3月中旬から復職しましたが今も棚卸しを継続しています。
休職に至る前の半年間は、異動先での慣れない仕事、プレッシャーをかける上司、シビアな仕事内容。
気が休まる暇がなく、平日は残業、土日もイベントか残務処理でほとんど出勤。
自宅にいても仕事のことが頭を離れない毎日が続きました。
最終的には「毎日残業+土日出勤+パワハラ上司」の3拍子でメンタル不調になり、診断書を書いてもらって休職しました。
詳しくは『辛くなったら逃げよう!「休職」「病気休暇」』というタイトルでKindle本を出していますので、似たような境遇の方は読んでみてください。
さて、休職しているときから繰り返し読んでいる本があります。
『もうちょっと「雑」に生きてみないか』(和田秀樹 著)です。
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著者の和田秀樹さんは精神科医で多数の著書があることで有名ですが、遠藤周作さんに触発され作家を目指すも失敗。
また、高校1年の時に留学試験を受けるが不合格。
さらに熱狂的な映画ファンだったため、東大在学中に自主映画製作を目指すが借金を残して頓挫。
幾多の活動を経て、50歳を前にして諦めていた映画の道が開かれる。
初監督作品である『受験のシンデレラ』が、モナコ国際映画祭で最優秀作品賞など4部門を受賞する。
こういう経歴の持ち主です。
優秀な先生と思いきや、こんなに失敗経験豊富とは。
しかし、挑戦するからこそ失敗するんですよね。
「失敗なき成功は無い」
先生の経歴を見るとそう思わされます。
本書『もうちょっと「雑」に生きてみないか』では、雑になれる人とまじめ過ぎて雑になれない人をいろいろな対比を用いて説明し雑に生きるススメを説いています。
雑になれる人はあきらめの早いところがあります。
できないこと、興味を持てないこと、苦手なことはわりと簡単にあきらめてしまいます。そのかわり、興味を持ったことやできそうなことには軽い気持ちで手を出します。
雑になれない人は逆です。むしろ、あれこれ手を出してはいけないと考えることが多いのです。何かをやり始めたら、途中で放り投げたりしないで最後までやり遂げなくてはいけないと思い込んでしまいます。
「やりかけたことは最後までやり遂げる」
「一度決めたことはどんなに苦しくても守り続ける」
「どんなにむずかしいことでも、できることを積み重ねていけば最後はうまくいく」
こういった考え方は、たしかにまじめだし堅実です。あれこれ手を出して失敗する人より、はるかに成功の可能性が高いように思えます。
でも、そういった考え方をしてしまうと、一直線の人生しか思い描けなくなります。いまやっていることや、いまの自分の延長線上にしか将来を描けなくなります。それはそれで、堅実に見えても選択肢のない、危うい人生ということにならないでしょうか。
雑でもうまくいく人は違います。
いろいろなものが見え、いろいろなことに手を出せます。
仕事でも生き方でも、こっちがダメならあっち、それがダメでもまた違うものといった、選択肢の広さがあります。ひとつの道でつまずいても、別の道を選んで歩くことができます。決して直線的な未来は描きません。
つまり雑になれるということは、たくましく生きていけるということです。いい加減なように見えても、ほんとうに大事なものを見失わないのが雑な人でもあるのです。
いろいろなものが見え、いろいろなことに手を出す。
そういう選択肢の広さが、ほんとうに大事なものを見失わない力を養いたくましく生きていくことにつながる。
本書を読んで、まさに僕を休職に追い込んだ上司こそ完璧主義者で「雑」になれない人間だというのがよく分かりました。
同時に、いつも気が抜けない、絶対負けられない、と思っていた自分自身も「雑」になれない人間だと分かりました。
和田さんが考える雑に生きる生き方とは、一直線ではなく、いろいろなものを見て、もっとゆるやかに、人生の揺れ幅を楽しむような生き方のことだといいます。
まじめ過ぎて生きることを楽しめない人は、もっと人生の揺れ幅を楽しむような生き方を考えるといいですね。
本日の記事は以上です。
☟『もうちょっと「雑」に生きてみないか』和田秀樹 著(新講社)