仕事したくない事務職のオッサンのビジネスブログ

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自分は搾取されている存在だと規定し、搾取と戦うために知恵を絞る

こんにちは、40代オッサンtrrymtorrsonです。 

 

僕は「毎日残業+土日出勤+パワハラ上司」の3拍子でメンタル不調になり、診断書を書いてもらって休職しました。

それからもう2年以上も経ちました。あっという間です。

 

復職してからもずっと調子が悪かったんですが、最近ようやく元の状態に戻りつつあるのかなと思います。

仕事に行くしんどさが薄れてきました。

もう仕事は全力でガツガツやらないと決めてるんですが。

自分の限界を超えて頑張ったら壊れます。

 

不安と緊張感にさらされて毎日を生きていて充実してたらいいんですが、何かの拍子に折れることがあります。すると「俺はもう駄目だ」となっちゃうんですね。

そうなる前に(なった後でもいいんですが)、仕事人生に背を向けて「なまける」「楽しむ」「ラクをする」時間を過ごした方が、結果的に人間としての幅が広がるんですよ。

本当にしんどくなったら、「なまける」「楽しむ」「ラクをする」という方向に振り切っていいと思うんですよ。

 

ひろゆきさんが『なまけもの時間術』という本に書いていました。

 

そもそも、人類にとって「考えること」は、常に「飢え」など生存の危機に対する不安や脅威に対処するためのものでした。

僕たちは「生き残るために考えてきた人たち」の子孫なのです。

だから、生存の危機なんてそうそう感じない現代でも、放っておくと、思考が不安や脅威と結びつきがちです。

 

不安や脅威に怯えるのは、人間の本能的な習性なんですね。

 

しんどさは薄れてきたんですが、なんとなく不安が消えなくて週5日勤務がもたない。

 

なにが自分を不安にさせるのか?

 

このごろ橘玲(たちばな・あきら)さんの著書を3冊立て続けに読みました。

『働き方2.0vs4.0』(2019.4月発行)『上級国民/下級国民』(2019.8月発行)『無理ゲー社会』(2021.8月発行)という3冊です。

 

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『上級国民/下級国民』のなかで橘さんは次のように書いています。

 

現代は「大きな物語」がなくなって、自分さがしをしつづける社会になった。

 

前期近代では「資本」と「労働」が対立しているとされ、失業は「階級問題」で個人的な問題ではありませんでした。

「君が失業しているのは「搾取された労働者」だからで、失業から抜け出すには「革命」によって社会の仕組みを変えるしかない」

このマルクス主義の物語が広く受け入れられたのは、(正しいかどうかは別として)「君にはなんの責任もない」と告げたからです。

ところが「リベラル化」が進んだ後期近代では、労働者は一人ひとりが自由な意思を持つ「個人」になり、自分を「労働者階級」とはみなさなくなります。

そうなると、経済的な苦境は個人の生き方の問題とされ、本人たちも「自己責任」を内面化していきます。

 

何十年もサラリーマンとして働きながらずっと不安感を背負って生きていく。

繰り返しになりますが、これというしんどさが薄れてきても何となく不安が消えないのは、「終わらない自分さがし」を強いられて、何が起きても「個人の生き方の問題」とされる究極の自己責任社会となっているからかもしれません。

 

「究極の自己責任社会」というと分かりにくいかもしれません。

ホリエモンやちきりんさんなどは「好きなことをとことんやればよい」「好きなことを仕事にすればよい」などと言いますが、逆に言えばそれができない人は生き残る道がどんどん閉ざされてしまうイメージです。

 

大きな物語」を復活させてもいいのではないか。

 

社会や政府や大企業など自分の外部にあるものを悪しき権力・仮想敵とみなすことができる人もいます。

むしろそういうものの見方もときに必要なのかもしれません。

 

いつも会社に行くのがしんどい。

自分は社会から疎外されている。

そういうふうに考える人は多いと思いますが、あなたが悪いのではありません。

 

自分は搾取されている存在だと規定し、搾取と戦うために知恵を絞る。

 

例えばサラリーマンにとって漠然とした不安感に対するには、「自分は悪くない」「悪いのは社会であり、会社である」という意識を持ってもいいし、それが生きていく活力につながると思います。

 

本日の記事は以上です。

 

☟『上級国民/下級国民』橘玲 著(小学館新書)