こんにちは、40代オッサンtrrymtorrsonです。
昨日の記事に引き続いてですが、いま松下幸之助さんの語録を集めた本を読んでいます。
それなりにもっともらしいことが書かれてあります。
松下さんは現在のパナソニックの創業者というだけでなく、あの「PHP研究所」を創設しているんですね。
「PHP」とは、「Peace and Happiness through Prosperity(繁栄によって平和と幸福を)」という意味だそうです。
PHP研究所はトータルシンクタンクとして創設され、現在は主に出版事業を展開しています。
この本で僕なりに重要な論点が書かれている部分があるのでそこをちょっと長くなりますが引用したいのですね。
どうも気になって何回も読み返してしまうんですよ。
社会のために自己修養を求める
自分の教養を高めるとか、自分の技術を向上させるとか、あるいは健康な体をつくるということは、自分を幸せにし、また自分の社会的地位を高めるためばかりでなく、社会の一員として共通の義務だと考えなければならない。
そういう義務感というか、社会の一員としての連帯感というものを、一人ひとりが常にしっかりと認識して、日々、自己の人格の向上、良識の涵養ということに努めていってほしい。
PHP研究所から出版された松下さんの著作からの一節です。
このような義務感を一人ひとりが持たなくてはならないということが、どうにも理解できない。
頭では立派な考えだということはわかるけど、どうも腑に落ちないんです。
「教養を高める」「技術を向上させる」「健康な体をつくる」
まずもってこの三角形をバランス良く向上させるというのは、非常に難易度が高いと思いませんか?
「教養」ってなんですか?
「技術を向上させる」といっても、良き指導者がいなければ技術は向上しません。いま組織の中にそういう能力と余力のある指導者がいますか?
「健康な体をつくる」というのは、「健康な心身をつくる」ということですよね。
今の世の中、心身ともに健康を保つということが至難のワザではないでしょうか?
「教養」「技術」「健康」のどれか一つ欠けたら、社会の落伍者ってことですか?
しかも松下さんはこの三つを高めるのは自分のためではなく「社会の一員として共通の義務だ」というわけですよ。
僕らはもう色んなことに疲弊しきっていて、松下さんの言ってることの意味が理解できないんですね。
「社会の一員としての連帯感」すら意味が分からない。
ちょっと今の時代にそぐわない堅苦しい感じがしてしょうがないですね。
でも苦しい人を助けてあげたい。
人を思いやる心を持って、ともに支え合って生きていける世の中になってほしい。
僕もそういう願いは持っているんですが。
願うだけではダメですかね。
松下さんがPHP研究所を立ち上げたときの理念は「繁栄によって平和と幸福を」でしたね。
みんなが平和で幸福に生きていくためには、社会が繁栄するよう一人ひとりが努力しなければならないと。
努力の方向性がわからない。
「繁栄」の意味すら分からないんですよ。
松下幸之助さん、もう終わってませんか?
本日の記事は以上です。
☟『松下幸之助から未来のリーダーたちへ』佐藤悌二郎 編著(アチーブメント出版)