40代オッサンtrrymtorrsonの雑記

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自己犠牲の仕事はもうやめようと決めたんですが・・。フランクルの「自己超越性」と「自己実現」

 こんにちは、40代オッサンtrrymtorrsonです。 

 

 仕事に悩み続けるオッサンです。

 ウザイ上司の指示を地味にこなしています。

 仕事での「自己実現」とは何なのか?身を粉にして働くのは「自己犠牲」ではないのか?

 自分を犠牲にして「他人の時間」を生きるのはやめよう。

 でも雇われサラリーマンの身で自己犠牲でない仕事って可能なのか?

 「他人の時間」ではなく「自分の時間」を生きるといいますが、仕事で「自分の時間」を貫くのは結構難しい。

 ただ上司の指示をこなすだけなのか、それとも自らの課題意識のもと仕事に向かうのか。この意識の違いは大きいですね。

 

 オーストリア精神科医・心理学者で、有名な『夜と霧』を書いたヴィクトール・フランクルという人がいます。

 彼は第二次大戦中、ナチス強制収容所テレージエンシュタットに入れられ、父、母、妻もそれぞれ収容所で亡くしました。アウシュビッツ、テュルクハイムに移送され、1945年4月に解放されました。

 極限の状況を生き抜いた人ですが、ユーモアとウィットを愛する快活な人柄であったそうですね。

 

     

 彼は著書『生きがい喪失の悩み』で次のように書いています。

 ある事柄に尽力し、あるいはある人格を愛することによって、人間は自己自身を成就します。彼が自分の課題に夢中になればなるほど、彼が自分の相手に献身すればするほど、それだけ彼は人間であり、それだけ彼は彼自身になるのです。したがって、人間はもともと、自己自身を忘れ、自己自身を無視する程度に応じてのみ、自己自身を実現することができるのです。

 

 また別の著書『〈生きる意味〉を求めて』では、次のように書いています。

 『自己超越性』という言葉は、人間であるということが常に、自分自身とは別の何か、自分自身とは違う誰かに向かって存在することだという、根源的な人間学的事実を意味している。(中略)人間存在のこの自己超越性を人が生きぬくその限りにおいて、人は本当の意味で人間になり、本当の自分になる。そして人がそのようになるのは、自分自身を自己の実現に関与させることによってではなく、むしろ逆に自分自身を忘れること、自分自身を与えること、自分自身を見つめないこと、自分自身の外側に心を集中させることによってなのである。

 自己実現と呼ばれているものも、自己超越によってもたらされる意図せざる効果であり、意図せざる効果のままに留まっていなければならない。自己実現を意図的な目標にしてしまうことは破壊的であると同時に自滅的である。

 

 自己実現とは、自己に向き合うことによってではなく、自分を忘れて没頭することと言っているようですね。

 しかし、それは「自己実現」というのではなく、自己を意識することなく「自己を超越すること」だと。

 フランクルの言っていることは、自分を限りなく無意識下に置くことによって自己を超越するということですが、それは「自己犠牲」とそんなに違わないような気がしますね。

 

 自己犠牲的に仕事に没頭するのも、自己超越的に仕事に没頭するのも結果としては同じではないか。

 ホントに仕事が嫌で自己犠牲だけでやると、あとに疲労しか残りません。

 ウザイ上司の指示を受けても、指示を受けたことを忘れるほど仕事に没頭できれば、フランクルのいう「自己実現」なのか?

 上司の指示でも、自分の課題でありタスクであると置き換えることができれば、それは「自己実現」と言えてしまう。

 

 自分を犠牲にして「他人の時間」を生きるのはやめようと決めましたが、フランクルを読んでいると、仕事における「自己実現」と「自己犠牲」の境界があいまいになり単純に割り切れないところがありますね。

 

 本日の記事は以上です。

 

☟『夜と霧』ヴィクトール・フランクルみすず書房) 

夜と霧 新版

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