こんにちは、40代オッサンtrrymtorrsonです。
このあいだ「ビジネス書ばかり読んでると読解力が下がるというのは本当か?」という記事を書きました。
この記事では少し踏み込みが甘かったので、このことについて再度書きたいと思います。
上の記事は、次のようなツイートを見かけて気になったから書いたものです。
ビジネス書ばかり読んでると読解力が下がるという話を聞く。学者やエンジニアの友人を見てると、彼らは「難解なものから真意を汲み取る」のが日常だからか、読解力が高い。ビジネス書は良くも悪くも、わかりやすさに重点があるため、言語の咀嚼力をあまり必要としない。それに慣れると弱くなってくる。
「ビジネス書ばかり読んでると読解力が下がる」というのは少し違うのではないか?
「難解なものから真意を汲み取る」から「読解力が高い」というのも少し違う気がする。
難解な書籍は、著者の文章力に問題がある場合も多々ありますよね。
ビジネス書を読んでも読解力は下がらないと思います。
この人が言いたかったのは、その本の中に分からない言葉や文章が出てきたとき、それを調べて自分の頭で考えさせる本かどうかということ。
分からない言葉がたくさんでてくる。何回もネットで「〇〇とは」と入力して検索する。ググる。
こういうことが、自らの知識や考える力や視野を広げるのですね。
こう書いてみると、結局「読解力」とはググらなくても読める力ということですかね。
ビジネス書の多くは、ググらなくても全部読めてしまう。
その意味で「ビジネス書は良くも悪くも、わかりやすさに重点がある」というのは正しいかもしれません。
そもそもビジネス書を読むとモチベーションが上がってやる気が湧いてくるという面がありますし実践に役立つ本と言うことができます。果たす役割が違うというか。
齋藤孝さんは『語彙力こそが教養である』という本を書いています。
知識や考える力や視野の広さといったものを齋藤先生は一言で「教養」と言っています。
さっき書いたように、「難解な本」というのは著者の語彙力が不足している可能性もあります。
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齋藤先生が到達した一つの結論が「語彙力こそ教養だ」というものです。
先生が強調しているのは、語彙力が教養そのものであるということ。知識そのものといってもいい。
いちばん伝えたいのは、「語彙が豊かになれば、見える世界が変わる」ということ。
ものを書くうえでも、豊富な語彙によって、表現する世界が広がる。
齋藤先生は「語彙力こそ教養だ」と言っていますが、補足すると「分からない言葉」の意味をググって調べることを習慣にすればそれだけで知的レベルは大きく向上します。
さらに「この文章はどういう意味だろう?」「自分だったらどう考えるか?」ということを考えると「見える世界が変わってくる」のだと思いますね。
逆に言えば、自分よりも高い教養に裏づけられた本、ビジネス書か否かを問わず、知識や考える力や視野を広げるのに役立ち、見える世界を変えてくれる本が良い本だということができますね。
本日の記事は以上です。
☟『語彙力こそが教養である』齋藤孝著(角川新書)