こんにちは、40代オッサンtrrymtorrsonです。
「虐げられた労働者が、横暴な経営陣に闘争を仕掛けて勝利し、自由と公正な社会を実現する」
働くことに疲れた僕らが夢見る究極の社会の実現。
そんな夢のような話を、国家の目標として推し進めた国がかつて存在しました。
何を隠そう、世界最大の面積を誇り米国と超大国の地位を争った、あの「ソビエト連邦(ソ連)」です。
ソビエト連邦の建国の歴史と思想的背景、目指した国家像を考えてみましょう。
歴史的背景
ソビエト連邦(ソビエト社会主義共和国連邦。ソ連)は、1917年のロシア革命を起点とし、1922年12月30日に正式に成立しました。
この建国の背景には、以下のような歴史的要因がありました。
ロシア帝国の崩壊
ロシア帝国は第一次世界大戦中の混乱と国内の社会不安により崩壊しました。
1917年2月革命でロマノフ王朝が倒れ、臨時政府が成立しましたが、同年10月の十月革命でボリシェビキ(後の共産党)が政権を掌握しました。
ロシア内戦(1917年~1922年)
革命後、ボリシェビキ(赤軍)と反革命勢力(白軍)との間で内戦が勃発しました。
ボリシェビキは労働者や農民の支持を得て勝利し、旧ロシア帝国の領土を再統合する形でソビエト連邦を成立させました。
民族問題と連邦制の採用
ロシア帝国時代に抑圧されていた多様な民族の自治要求を受け、ソ連は「民族自決」の理念を掲げました。
これに基づき、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(RSFSR)、ウクライナ、ベラルーシ、ザカフカース(現在のジョージア、アルメニア、アゼルバイジャン)などの共和国が連邦を形成しました。
思想的背景
ソビエト連邦の建国は、マルクス主義とレーニン主義に基づいています。
ドイツの思想家カール・マルクスの理論が基盤となっています。
マルクス主義は、資本主義社会における階級闘争を通じて、労働者階級(プロレタリアート)が権力を掌握し、最終的に階級のない共産主義社会を実現することを目指します。
ウラジーミル・レーニンは、マルクス主義をロシアの現実に適用し、革命を指導しました。
彼は、労働者階級を指導する「前衛党」の必要性を強調し、プロレタリア独裁を通じて社会主義を実現するという独自の理論を展開しました。
ソ連は、帝国主義に対抗する国際的な社会主義運動の一環として、民族自決を掲げました。
これにより、旧ロシア帝国の多民族国家を「平等な共和国の連邦」として再編成することを目指しました。
目指した国家像
ソビエト連邦が目指した国家像は、以下のように要約できます。
社会主義国家の建設
生産手段を国有化し、計画経済を導入することで、資本主義の搾取を排除し、平等な社会を実現しようとしました。
特に、スターリン時代には五カ年計画を通じて急速な工業化と農業の集団化が進められました。
階級のない社会の実現
労働者と農民を中心とした社会を構築し、最終的には階級のない共産主義社会を目指しました。
ただし、実際には共産党による一党独裁が行われ、理想と現実の間には大きな乖離がありました。
国際的な社会主義運動の中心
ソ連は、世界革命を支援する拠点として、他国の共産主義運動を支援しました。
しかし、スターリン時代以降は「一国社会主義」の方針が強調され、国内の社会主義建設に重点が置かれるようになりました。
多民族国家の連邦モデル
ソ連は、各民族が自治を持ちながらも、中央集権的な統治の下で統合される連邦国家を目指しました。
しかし、実際にはロシア中心の支配が強く、民族間の緊張が後のソ連崩壊の一因となりました。
結論
ソビエト連邦は、マルクス主義とレーニン主義を基盤に、資本主義に代わる社会主義国家を建設することを目指しました。
その理念は、平等と民族自決を掲げた理想主義的なものでしたが、実際には一党独裁や中央集権的な統治が強調され、理想と現実の間に大きなギャップが生じました。
この矛盾は、後のソ連崩壊の遠因ともなりました。
1991年、ソビエト連邦は崩壊しました。
ソビエト連邦の社会実験は多大な犠牲を払って失敗に終わりましたが、マルクス主義経済学は当時の日本の若者たちにも大きな影響を与えました。
「階級のない社会の実現」
当時の資本主義社会到来の大きなうねりに、反旗を翻したのですね。
資本主義は現時点で最も安定した経済モデルですが、その歪みのなかで犠牲を強いられて敗者になる人は大勢います。
社会のうねりのなかに受け身で飲み込まれるのを是としてはいけません。
「今日、階級闘争しない?」
現代の「レジスタンス運動」、「パルチザン戦術」を仕掛ける気概を持ちたいものです。
本日の記事は以上です。
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