仕事したくない事務職のオッサンのビジネスブログ

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PTA活動。無目的、無報酬、同調圧力を強いる日本社会の縮図

こんにちは、40代オッサンtrrymtorrsonです。

 

僕は人付き合いがヘタで距離の取り方がマズイ。

3年前にはサイコパスの糞上司の下で、したたかに立ち回ることができず仕事に疲れ切って診断書もらって休職した人間です。

 

休職して以来3年。

職場復帰してからは2年半経ちました。

幸い仕事は安定した職種であるので、ヒラの糞事務職ですが田舎に1戸建て住宅を確保し妻と3人の娘と暮らしています。

 

田舎なので地域の付き合いがあります。

子どもの数が少ないので、子供会やPTAの役がすぐ回ってきます。

ここ数年はコロナ禍により行事も少なく過ごしやすい暮らしでした。

 

上の娘が小学校の時からしばしば地域や学校の役員にさせられ、今度は上の娘が間もなく中学校に上がるタイミングで今度は中学校区における地区代表委員もやらされることになりました。

実際に動くのは妻が大半ですが。

 

中学校ではウチの地区は4、5軒しかなく、次の地区代表を2軒のうちどちらか1人出さないといけないという話で、それは地区割がおかしいと激怒し、妻とも議論した結果、今度の中学校の集まりで絶対意見を言ってやると息巻いて夫婦で集まりに参加しました。

 

小さい田舎の中学校なのに、各地区から30名ほどの新年度地区代表が参加。

ほとんどお母さんが出席。

夫婦で参加したのは、ウチだけでした。

 

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どんな意見を言おうとしていたかというと、僕がこれまでこのブログで書いてきたことと大いに関係があります。

 

何だか目的があいまいなことを、「昔からやってきたから」という理由だけでなんとなく同調圧力でやらされてしまう日本人。

おかしいことをおかしいと言わず時代に合わせて柔軟に変えていこうとしない日本人。

人の善意に頼って無償の奉仕とタダ働きを強いて、それを正しいことだと勘違いしている日本人。

 

日本経済の低成長、低賃金、劣悪な長時間労働労働生産性の低さとまったく重なる話なんです。

 

今度娘が通う中学校では地区代表30名程度で、生活委員と広報委員と学校支援委員というのを分担してやることになります。

生活委員とは、月1回朝の登校時のあいさつ運動をする仕事。

広報委員とは、年2回PTA新聞を発行する仕事。

そして、学校支援委員とは、先生を補佐して学習習慣チェックの集計をやったり、入学式や卒業式に向けて花の苗を植えたりなどの仕事。

 

このほかにもPTAでは、運動会でテントを立てたり、親子バレー大会を企画したりといった仕事もあるとのこと。

 

ひとつひとつは大したことではないかもしれません。

目くじらを立てるようなことではないかもしれません。

 

しかしです。

はっきり言って一切やりたくないんです。

中学校の運営なんて全然関心がありません。

先生方にお任せで全然構いません。

 

それなのになぜ中学校に入学する前からさっそく役が回ってきて有無を言わさず強制されるのか。

 

学校支援委員なんて上辺は「地域に開かれた学校」だとか「地域全体で教育と子育て」だとか「多忙な先生と協力して保護者も学校の運営に協力する」だとかとキレイごとですが、だれも手をあげる人なんていませんでしたよ。

最近、外国人の技能実習制度が「低賃金の奴隷労働だ」と問題化していますか、これと同じ構造です。

先生の人手が足りないから保護者にボランティア労働を肩代わりさせる。

無報酬なだけ外国人よりも劣悪ですよ。

「子供のためにがんばりましょう」というやりがい搾取。

 

先生が多忙にも関わらず「給特法」という悪法があるらしく残業代がつかないタダ働きを強制させているらしい。

まずは「給特法」を廃止して教師の職責に見合った大幅な給与改善を行い、それと併せて業務を合理化・効率化し無駄な長時間労働を抑制することが先です。

 

そんなことを考えているうち、妻がくじ引きで生活委員長になってしまいました。

 

現PTA会長いわく「みなさん楽しくやっていきましょうや!最初は大変ですがみんな知り合いになって先生とも仲良くなって楽しいですよ!」「○○さん、委員長がんばってください、全然気負わなくていいですよ!みんな助けてくれますよ!」。

さらには「夫婦で集まりに出席されるなんて、積極的ですねえ!羨ましいですよ!」だって。

 

なにか言い返す空気では到底なく、ひきつった愛想笑いを浮かべて、全身の力が抜けていったのでした。

「目的もなにも伝えられていないのに、いきなり役を強制するのか、ウチは引き受けません!」と拒否しようと思っていたのに、なすすべなく帰宅してしばらく放心状態でした。

 

でも、なんとかこのモヤモヤを晴らして、妻と一緒に変えていきたいと決意を新たにしたのでした。

 

本日の記事は以上です。