仕事したくない事務職のオッサンのビジネスブログ

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終戦記念日を迎えてオッサンが思うこと。戦争から学ぶことはとても大きい

こんにちは、40代オッサンtrrymtorrsonです。

 

本業のサラリーマンに復職してもうすぐ5か月になります。

大袈裟ですが仕事で一度敗北して辛酸を舐めました。自分の人生、立ち上がって復興を目指しています。

 

今年は戦後75周年だそうです。まだ戦争経験者はご存命です。

8月15日は日本の終戦記念日です。なぜこの日なのか?

 

◇1945年(昭和20年)8月14日:日本政府が、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告した日

1945年(昭和20年)8月15日:玉音放送により、日本の降伏が国民に公表された日

◇1945年(昭和20年)9月2日:日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した日

 

玉音放送によって日本の降伏を国民に公表した日を終戦記念日としたんですね。

 

毎年夏になるとNHK民法各社で終戦記念特別番組が放送されます。

NHKでは地デジ、BSで怒涛の戦争関連番組が放送されます。

ネットやSNSでも盛んに情報提供されています。

 

NHKの良質な戦争検証番組をじっくり観たい。

しかし本業と家業は忙しいし、家族との交流やブログを書くことも忙しい。

テレビを見る時間がない。

 

僕は休職してこのブログを書き始めてから、自分のできることは何かを次のように整理しました。

 

【本業のサラリーマン職×○○職(実家の家業のこと)×3児の父(ほとんど嫁さん任せ)×休職経験者×個人投資家(収益はごく少ない)×ブロガー(成果は出ていません)×写真家(写真AC(Photo AC)に投稿しているだけ)×作家(Kindle本を1冊出しただけ)×書評家(読書量は少ない)×映画評論家(ブログでレビューを2本書いただけ)×戦史研究家(読んだ本の内容ほとんど忘れた)×ラーメンライター(近所のラーメン屋さんに行って食べログに書くだけ)】

 

このなかで、僕は「戦史研究家」という活動を細々と行っています。 

 

戦史研究家」の基本的なスタンスは次の通りです。

ここで言う戦史とは日中・太平洋戦争史です。

僕は10年以上前、光人社の戦記物などをよく読んでいました。

 

この戦争で一説には日本人が約300万人亡くなったとされ、最終的に極東国際軍事裁判で28名が起訴され7名が絞首刑に処せられました。

戦前から敗戦に至るまで、歴史上重要なターニングポイントをいくつも経て、無数の重要な政策・戦略判断が行われ、また個々の戦場でも夥しい戦術判断がありました。

いわゆるA級戦犯に責任を負わせる、軍部が独走したなど、物事を単純化してはいけません。実際いろんな議論があります。

 

かつて日本人が白人アメリカとガチで戦って敗れた。完膚なきまで叩きのめされ、悲惨な負け方をした。負けたあとも、精神の根幹を巧妙に支配された。自分のことのように悔しいが、この敗戦があったから今の日本がある。

 

肩書に掲げた取り組みのなかでは、戦史研究が一番忍耐力を要するもので、まさに息の長いライフワークと思っていますが、ブログで少しずつ記事を書いて蓄積しています。

どんな一流の専門家が書いた書物でも、結局事実のほんの一部分を切り取っただけではないでしょうか?

    

僕は20代前半の学生時代、小林正樹監督の『東京裁判』(1983年作品)を観て、明暗を分けた軍人の人間模様に興味を持ったのがきっかけで日中・太平洋戦争史にハマりました。

先に書いたように軍部が独走した、当時の指導者が愚かだった、と物事を単純化していいのか?

 

当時の日本が置かれた状況、空気が軍部に引っ張られたとはいえ、東京裁判で裁かれた軍人、文官の一人ひとりは、国を動かしていた優秀な人材でありキーパーソンだったはずです。

そんな彼らが望んで愚かな失敗を犯すだろうか?

僕の関心はそういうところにありました。

 

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この戦史の全体像を解明することは難しい作業ですが、池上彰著『知の越境法「質問力」を磨く』のなかで、一つのシンプルな歴史解釈が紹介されていました。

それは次のようなものです。

 

私(池上さん)が思い出すのは、日露戦争の日本の勝因のことです。日露戦争で日本が勝利を収めた背景には、日英同盟がありました。

当時のイギリスは衰えたとはいえ、いまだに海洋国家としての実質を持っていました。日露戦争のときに、それが大きな力を発揮したのです。

日英同盟があって、イギリスがバルチック艦隊がいまどこにいるのか逐一教えてくれますし、イギリスの支配下にある港には一切入れませんでした。

(中略)日本はバルチック艦隊対馬海峡を通るだろうと読み、それが当たって、日本側の大勝利となるのです。

これはイギリスの情報があったからこそ勝てたのです。

加藤陽子氏によると、当時、中国の日本に対する感情は和らいでいた時期で、満州にいるロシア軍の動きをかなり探っていて、教えてくれていたらしいのです。

海と陸の情報戦に日本は勝っていたのです。

これは戦争においていかに情報が大事かという話です。

歴史は時間を越えて、そういうことを教えてくれます。

ところが、その後の日本は、勝利の経験から次第に夜郎自大になって、敵のことをろくに調べもせずに戦端を開き、無駄死にの山を築いたのがノモンハンでの戦争です。

しかも、この敗北をきちんと総括することもなく、当時の指揮官たちの責任を追及せずに栄転させてしまいます。

これが、その後の太平洋戦争の敗北につながっていきます。

 

敗戦の原因として情報収集が劣っていたことはよく言われます。

こういった戦史研究の分野で膨大な知識を持つ人はざらにいると思いますが、大きな全体像の話を、これだけ簡潔な文章で腹落ちさせる池上さんの解説力はさすがです。 

 

さっき日中・太平洋戦争で300万人以上の軍人、民間人が亡くなったと書きました。

戦後75年はそんなに遠い過去のことではありません。

 

戦後生まれで今の世の中を生きる者にとっては、1941年の対米英宣戦布告から1945年の敗戦まで約4年間、国と国が戦い、夥しい悲惨な死があり、日本の国土が焦土と化したということは、にわかに信じられない、想像を絶するものがあります。

 

戦争は悲惨なものですが、一方で、当時は国と国のパワーポリティクスのなかで、武力行使という一つの手段に訴えることは、なかば国際常識だったのです。

 

優秀な日本人だからこそ、国際社会の中で一定の勢力を確保しようと画策した。

欧米諸国は日本の勢力伸長を警戒して封じ込めようとした。

 

人生にも勝ち負けがある。

戦争から学ぶことはとても大きいと考えています。

 

本日の記事は以上です。

 

  ☟『知の越境法「質問力」を磨く』池上彰光文社新書