こんにちは、40代オッサンtrrymtorrsonです。
復職して8か月が経ちました。
僕は新型コロナウイルスが流行する前から仕事で挫折して休職生活に移行、つまりステイホーム生活に入っていました。
身の回りの棚卸し作業をしています。
3月中旬から復職しましたが今も棚卸しを継続しています。
休職に至る前は、異動先での慣れない仕事、プレッシャーをかける上司、シビアな仕事内容。
気が休まる暇がなく、平日は残業、土日もイベントか残務処理でほとんど出勤。
自宅にいても仕事のことが頭を離れない毎日が続きました。
最終的には毎日残業、土日出勤、パワハラ上司の3拍子でメンタル不調になり、診断書を書いてもらって休職しました。
詳しくは『辛くなったら逃げよう!「休職」「病気休暇」』というタイトルでKindle本を出していますので、似たような境遇の方は読んでみてください。
休職生活とは自分を見つめ直す内省生活です。
何か始めてみようと思いブログを書き始めました。
記事数は300記事を超えました。
「ライフワークとして娯楽とアウトプットを兼ねた知的生産活動に取り組むことが、中年オッサンとしての使命である」ということを念頭において、何か書いていこうと思っています。
さて、齋藤孝さんの『語彙力こそが教養である』です。
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齋藤先生と言えば、テレビ番組では『世界一受けたい授業』(日本テレビ)に講師として出演するほか、『にほんごであそぼ』(NHK Eテレ)、『ガチャガチャポン!』(フジテレビ)や『東大王』(TBS)で企画と監修を担当。
『情報7daysニュースキャスター』(TBS)や『ちちんぷいぷい』(MBS)、『全力!脱出タイムズ』(フジテレビ)のレギュラーコメンテーターでもあります。
まさにテレビで見ない日はないというほど出演されています。
書店では氏の著書を必ず平積みで見かけるほど大量の著作があり、特に『声に出して読みたい日本語』(2001年、草思社)は250万部を超えているそうです。
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スッキリした語り口で人当たりの良さそうな齋藤先生ですが、なかなかの苦労人です。
裁判官を目指し東大法学部に進みましたが、教育研究の分野にシフトされています。
教育学研究者の道に進むことになるわけですが、大学院生の間はただひたすら論文を書き続ける生活でした。コツコツと一人で論文を書き続け、なかなか認めてもらえずに、さらに書き続けるような毎日。
孤独の中で、ひたすら論理を積み上げていくのは、誰かに読んでもらえて認めてもらえない限り、手ごたえが感じられないのです。
それが10年近くも続いていました。
結局修士課程に3年、博士課程に5年在籍することになり、終わったときには30歳を越えていました。評価もされず1円にもならないことを8年間続けていたことになります。
論文も相当数書いたのですが、何一つ実になっていません。
(『今、そこにある苦悩からの脱出』)
書いて書いて書きまくった齋藤先生が到達した一つの結論が「語彙力こそ教養だ」というものです。
少ない語彙で表現することは、その便利さと引き替えに、「本当の自分よりも低いレベルに見積もられてしまう」という大きな代償を支払っています。
というのも、人は無意識のうちに語彙を通じて「相手のレベルや知性」を判断しているからです。
要は「どれだけ話が通じる人なのか」を見定め、そのうえで会話の内容や難易度を調整するということ。
コミュニケーションを円滑にするために必要不可欠な作業です。
これがビジネスの現場になれば、語彙不足のせいで第一印象が悪いと「この人のことをもっと知りたい、また会いたい、一緒に仕事をしたい」とすら思われなくなってしまいます。
さらに、部下や後輩からは「部長はどうも言うことが浅い」と軽んじられる可能性もあります。
齋藤先生が言うように語彙力が低いとなめられる。
語彙力とは、生きていく世界、付き合う人を大きく変えるほどの力がある。
処世術、社交術の点から語彙力が必要だというのはあるかもしれません。
しかしそれ以上に先生が強調しているのは、語彙力が教養そのものであるということ。知識そのものといってもいい。
いちばん伝えたいのは、「語彙が豊かになれば、見える世界が変わる」ということ。
ものを書くうえでも、豊富な語彙によって表現する世界が広がる。
ものを書き続けていくからには、ここを目指していきたいものです。
本日の記事は以上です。
☟『語彙力こそが教養である』齋藤孝著(角川新書)