こんにちは、40代オッサンtrrymtorrsonです。
復職してちょうど半年が経ちました。
休職期間半年、そのあと復職して半年です。
僕は新型コロナウイルスが流行する前から仕事で挫折して休職生活に移行、つまりステイホーム生活に入っていました。
身の回りの棚卸し作業をしています。
3月中旬から復職しましたが、今も棚卸しを継続しています。
休職に至る前は、異動先での慣れない仕事、プレッシャーをかける上司、シビアな仕事内容。
気が休まる暇がなく、平日は残業、土日もイベントか残務処理でほとんど出勤。
自宅にいても仕事のことが頭を離れない毎日が続きました。
最終的には毎日残業、土日出勤、パワハラ上司の3拍子でメンタル不調になり、診断書を書いてもらって休職しました。
詳しくは『辛くなったら逃げよう!「休職」「病気休暇」』というタイトルでKindle本を出していますので、似たような境遇の方は読んでみてください。
40代半ばのオッサンですが、仕事とパワハラ上司に潰されて約半年間休職したという普通のサラリーマンとちょっと違った経験をしました。
すでに復職して半年ですが、社会の中核40代とは何なのか?
仕事のやりがいとは何なのか?
どうやって適正なワークライフバランスを実現するのか?
中年になっても仕事を順調にこなしながら好きなことにも熱中することができるのか?
こういったことを日々考えています。
休職期間に入って以降とにかく猛烈に読書してみようと思い、書店やブックオフで気になった本は片っ端から買って読んできました。
そんななかの1冊、丹羽宇一郎さんの『仕事と心の流儀』を読んでいます。
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著者の丹羽宇一郎さんのプロフィール次の通りです。
1939年、愛知県生まれ。名古屋大学法学部を卒業後、伊藤忠商事に入社。
1998年、社長に就任。1999年、約4,000億円の不良資産を一括処理し、翌年度の決算で同社史上最高益(当時)を記録。2004年、会長に就任。
内閣府経済財政諮問会議議員、内閣府地方分権改革推進委員会委員長、日本郵政取締役、国際連合世界食糧計画(WFP)協会会長などを歴任し、2010年、民間出身では初の駐中国大使に就任。
現在、公益社団法人日本中国友好協会会長、早稲田大学特命教授、福井県立大学客員教授、伊藤忠商事名誉理事。
本書はこのような凄い経歴の方が書いた本ですね。
さて僕は先に書いたように仕事に突っ込み過ぎて、また精神不安定なパワハラ上司に過度のプレッシャーをかけられ休職。
半年間の休職期間を経て復職しましたが仕事に没頭する気力を失い、仕事よりもプライベートを重視すべきだという方針に舵を切りました。
メンタル不調が緩和されれば、また将来、仕事重視に向かう可能性はありますが、そうなれば今のように休職経験者ブログを書くことそのものの意義が失われるような気がしています。
そもそもこうやって記事を書こうという原動力となるのはこれまでの経験や行動そのものであり、どのような経験や行動がモチベーションとなるのかというと、人と違う経験やマイナス経験や失敗した経験だと思うのです。
ワークライフバランスを適正に確保するというのが僕の現在の目標ですが、仕事も問題なく順調、プライベートも問題なく順調となれば、書くネタ、書くことそのものの意味を失ってしまうのではないか。
最近そのようなことを考えます。
さてその点で本書の著者である丹羽さんは凄い経歴の持ち主だと紹介しました。
この丹羽さんが30代半ばのころ、会社を存亡の危機に立たせる絶体絶命のピンチ、修羅場を経験したことを本書の冒頭で書いています。
丹羽さんは伊藤忠入社6年目でアメリカに駐在しその5~6年後。
30代半ばのころ、大豆の取引で失敗し、約15億円の含み損を抱えてしまったそうです。
これはなんと当時の会社の税引き後利益に匹敵する額でした。
言いようのない挫折感に打ちのめされ、辞表を出そうかと悩んでいたころ社長に呼ばれたそうです。
「きみが丹羽か。あの大損はまだ持っているのか」
「はい、持っています」
「いつまで持っているつもりだ」
「いや、もうちょっと持たせてください」
縮みあがるような社長とのやり取りです。
その後、丹羽さんは必死に情報を集め、何度も産地に足を運び、民間の天気予報会社と契約しアメリカ気象庁の資料と重ね合わせて分析しました。
そして半年ほどで含み損を解消したそうです。
丹羽さんは若いころ絶体絶命のピンチを経験し、必死に努力して切り抜けました。
そして失敗経験が原動力となり、のちに伊藤忠の社長まで上り詰めました。
繰り返しますが、何かを表現しよう、発信しようという原動力となるのは、これまでの経験や行動そのもの。
モチベーションとなる経験や行動は、人と違う経験やマイナス経験や失敗した経験ではないでしょうか。
本日の記事は以上です。