こんにちは、40代オッサンtrrymtorrsonです。
復職して4か月が経ちました。
僕は新型コロナウイルスが流行する半年前から仕事で挫折して休職生活に移行、つまりステイホーム生活に入っていました。
身の回りの棚卸し作業をしています。
3月中旬から復職しましたが、今も棚卸しを継続しています。
休職に至る前の半年間は、異動先での慣れない仕事、プレッシャーをかける上司、シビアな仕事内容。
気が休まる暇がなく、平日は残業、土日もイベントか残務処理でほとんど出勤。
自宅にいても仕事のことが頭を離れない毎日が続きました。
最終的には上司との関係でひどく疲れた、仕事のやる気が起きない、出勤したくないという状態になったのです。
詳しくは『辛くなったら逃げよう!「休職」「病気休暇」』というタイトルでKindle本を出版しております。似たような境遇の方はぜひお読みください。
解雇や転職、体調不良による病休、休職。
こういったことは落ち込みますが、同時に身の回りの棚卸しをする良いきっかけにもなり得ます。
僕は40代半ばで仕事で疲弊してメンタル不調になり休職に追い込まれましたが、25歳、30歳、35歳、40歳・・・こういう節目にキツイ時期に見舞われることもあります。
こういう時こそいったん退いて、身の回りの棚卸し、態勢を立て直し、反撃の力を蓄えるということに専念する良い機会だと思います。
先日の記事で、自分自身の仕事のスキルや人生経験がどういう意味で稚拙だったのかということを考えました。
復職して時間も経つので、それを整理しておくのも無駄ではないと思えるようになってきました。
自分にはレジリエンス(自己治癒力)が欠けている。
レジリエンスとは、有意味感(情緒的余裕)、全体把握感(認知の柔軟性)、経験的処理可能感(情緒的共感処理)の3つの力に支えられるものです。
僕自身の生い立ちが、過保護で失敗経験に乏しかったからなのか・・・。
そう考えると何とも遣り切れないですが、身に付いていない能力は、後からでも努力して多少でも身に付けるしかないかと思っています。
前置きが長くなり申し訳ありません。
先日、外山滋比古さんの著書『思考の整理学』を入手しました。
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外山さんは1923年生まれの現在96歳。
東京文理科大学英文学科を卒業し、『英語青年』編集長を経て、東京教育大学、お茶の水女子大学で教鞭をとられています。お茶の水女子大学名誉教授。多数の著書があります。
本書『思考の整理学』は東大生協、京大生協で刊行から34年たった今でも1番売れている本だそうです。
学校の生徒は、先生と教科書にひっぱられて勉強する。
自学自習ということばこそあるけれども、独力で知識を得るのではない。
いわばグライダーのようなものだ。
自力では飛び上がることはできない。
学校はグライダー人間の訓練所である。
飛行機人間は作らない。
人間にはグライダー能力と飛行機能力とがある。
受動的に知識を得るのが前者、自分でものごとを発明、発見するのが後者である。
現実には、グライダー能力が圧倒的で、飛行機能力はまるでなし、という‟優秀な”人間がたくさんいることもたしかで、しかも、そういう人も‟翔べる”という評価を受けているのである。
新しい文化の創造には飛行機能力が不可欠である。
それなら、グライダーにエンジンを搭載するにはどうしたらいいのか。
学校も社会もそれを考える必要がある。
自分自身を振り返ってもまさにグライダー人間だったと思います。
学生時代どころか社会人になって20年経過した今でもグライダーのままなのではないか?
そう考えると何ともやりきれない思いですが、本書はそういう気づきを与えてくれました。
そういう気づきを得るのは、40代半ばになってもいくつになっても遅すぎるということはないですね。
冒頭で書いたように、人生の節目で一旦立ち止まって身の回りの棚卸しをしてみる。
自分は人の敷いたレールの上を走っていただけではないか?
グライダー人間がエンジンを搭載するにはどうしたらいいのか?
グライダー人間にエンジンを搭載するには、学校や会社でのタスクだけをやっていたらダメですね。
学校や会社以外のことが圧倒的に大事です。
独力で知識を得る。
自分でものごとを発明、発見する。
自分で考えて行動して、また考える。
考えて考え抜く。
学校や会社以外のことに時間や資源を投下して、インプットしてアウトプットして自分で考える知的生産活動を蓄積していきましょう。
本日の記事は以上です。