仕事したくない事務職のオッサンのビジネスブログ

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自分の心揺らぐ瞬間を発見し思考の軸とする。それこそが教養『読書という荒野』見城徹 著

こんにちは、40代オッサンtrrymtorrsonです。

 

昨年仕事で疲弊して、約6か月休職、職場復帰して3か月半経ちました。

 

立ち止まって一度人生を振り返って再構築する試みを行ってきました。

このことは休職してもしなくても、40代という人生の折り返し地点で一度やっておきたかったことでした。

 

一昨年から仕事も子育ても忙しくなり、戸建て住宅に引っ越しました。

自分の時間、趣味の時間、家族の時間もしっかり確保したいし、仕事も疎かにはしたくない。

結果的に仕事上の人間関係で潰れて休職に至ったわけですが、休職経験が「立ち止まって一度人生を振り返って再構築する」絶好の機会となりました。

 

そんななかで主に取り組んだのは、読書とブログでした。

僕は20代のころから、中年になったら知的生産活動をやってみたいと思っていました。一戸建ての自宅に自分の「プラットフォーム」「仕事場」を持ちたいとずっと思っていました。

そして40代を過ぎてから、念願の6畳の自室を備えた戸建住宅を持ちました。

物理的には知的生産活動に取り組める環境が整いました。

 

休職して約半年、書籍を買っては読み買っては読みの生活。

読みながら「なぜ自分は読書しているのか?」という思いもわきますし、「読書家の人はどんな本を読んでいるのだろう」という興味もわいてきます。 

 

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どうしたら面白い記事が書けるのか?

 

幻冬舎代表取締役社長、見城徹さんの『読書という荒野』という本も、そんな思いの中で読んだ本です。

 

さっき知的生産活動に取り組んでいきたいということを書きましたが、「知的生産活動」って何でしょう?

 

経験が豊富であれば経験を文章に起こせばブログが成立する。

しかし、僕の場合は本業が抑揚のない一般事務系サラリーマン。

基本的に書くことがない。

本業について具体的なことを書きすぎると身バレする。

 

これまでいくつかの記事で書いたように、読書が「インプット」で、ブログが「アウトプット」という具合でした。

しかし、これで知的生産活動というにはちょっと薄っぺらい。

 

雑誌やネットニュースの記事には、とても面白く興味深い書評記事がありますが、書き手の文章の上手さや教養の奥深さといったものがにじみ出るからこそ面白い。

 

書籍から引用して感想を書くということでもブログ記事は成立しますが、目指す「知的生産活動」からはほど遠い。

 

この問題についてこれまでいろいろな本を読みながら考えてきましたが、見城さんの『読書という荒野』に一つのヒントがありましたので以下に引用します。

 

最近ではあらゆる場所で「教養」の重要性が語られている。

しかし、さまざまな情報を知っている人を「教養ある人」だと捉える言説が多いことに、僕は違和感を覚えている。

教養とは、単なる情報の羅列ではない。人生や社会に対する深い洞察、言い換えれば「思考する言葉」にほかならない。

だから、「たくさん読むことがいいことだ」という風潮にも異を唱えたい。

情報の断片を積み重ねるより、そこから何を感じたかのほうが重要だ。

情報の断片は、検索すれば簡単に手に入るではないか。

「速読して年間に500冊本を読んだ」という類の話は本当にくだらない。

クイズ王を目指すのでもあるまいし、何の意味があるというのか。

それよりも自分の心揺らぐ瞬間を発見し、思考の軸とすること。それこそが教養なのだ。

 

教養とは、単なる情報の羅列ではない。

人生や社会に対する深い洞察、言い換えれば「思考する言葉」にほかならない。

自分の心揺らぐ瞬間を発見し、思考の軸とすること。それこそが教養なのだ。

 

まず情報源が1冊の書籍からだけだと面白くない。

多数の書籍に加えて、テレビ、ネット、新聞、雑誌など複数のメディアからインプットしたほうがいい。

 

本ばかり読んでいると、テレビ番組の情報がかえってとても新鮮に感じるときがあります。必ずしも生の経験がなくても面白い記事は書けると思います。

 

次に書籍の情報を追うことのみに傾倒するのではなく、人生や社会に対する深い洞察、自分の心の動きに耳を澄ますことが必須です。

 

書き手の心に蓄積される思考の軸=教養

 

これこそが記事を面白くするんでしょうね。

 

本日の記事は以上です。

 

☟『読書という荒野』見城徹幻冬舎文庫