こんにちは、40代オッサンtrrymtorrsonです。
いま多読チャレンジをやっています。
自分の弱点は「質問力」だと思っています。
「質問力」に関する本を探したところヒットしたのが、あの超売れっ子ジャーナリスト池上彰さんの『知の越境法 「質問力」を磨く』です。
池上さんはNHKの記者から社会人のキャリアが始まりました。人に質問する仕事のプロです。聞きにくいことを聞いたりして、相手に嫌な思いをさせたり、自ら嫌な思いをしたりしてきたのではないでしょうか。
正直人に聞くのが面倒くさい。自分で調べて出来る範囲で仕事をこなしていった方が楽。人に聞いたせいで逆に慣れない仕事を増やしてしまう、と僕は思ってしまいます。
仕事で挫折して、もう仕事には6分の1の力しか突っ込まない。仕事に突っ込む割合は最大でも50%までにしよう。
そう決めましたが、実は休職する前の20代、30代の頃から、人に聞いたせいで、かえって仕事を増やすのが嫌だったのです。見方を変えれば、同僚と協働しながら仕事のレベルを上げていく、そういう面倒なことをやりたくなかったのです。
本書は「質問すること」の意味をさまざまな角度から掘り下げて、質問それ自体が、知的生産活動に不可欠なものだと説いています。
「メノンのパラドクス」という言葉があります。問題の解決法が分かっていれば、それは問題として意識されない。逆に問題の解決法がまったく見当がつかない場合も、問題として意識されない。問題として意識されるのは、解決できるかもしれないが、やってみないと分からないものの場合だ、というのです。
まさに質問というのは、そういう問いを発することだと思います。質問をするためには、何が分からないか分かっていないとだめなのです。
「愚かな質問はない、あるのは愚かな答えだけだ」という言葉があります。変な質問をして愚かだと思われるのがいやで、質問自体を抑え込んでしまう。それは本人の成長の機会を奪うばかりか、その質問をすることで周りの人も賢くなる機会を奪う、という考え方です。
アメリカではどんどん質問することがよしとされます。それには、質問はみんなのためになる、という共通認識がバックボーンにあるのでしょう。
愚かな質問はない、といっても、事前に準備できることがあればしておくのが、相手への礼儀です。資料は時間の許すかぎり集めて、目を通しておく必要があります。
人にはプライドがあるので、知ったかぶりをしたがります。こどものように、知らないことは知らないと聞いてみるのです。
相手の説明が不十分だったり、漠然としたりしているときは、どういうことですか、と突っ込んで聞くことも大事です。そういうときはたいてい、相手は何かをごまかしているときだからです。
基本的にインタビュアーは、視聴者や読者が聞きたいこと、知りたいことを聞くわけです。質問を聞いて、「そうそう、その質問を聞いてほしかった」と思える内容にすることが必要です。
目を輝かせて質問をくり出し、知の越境をする。これを続けるかぎり、知的退行は起こりようがありません。
池上さんはこのように書いています。
質問し続けることを止めれば知的退行が起きる。こう池上さんは言ってるんですね。
繰り返しになりますが、面倒な仕事にはもう過剰なリソースを突っ込みたくありません。しかし、仕事は効率的にこなしたい。知的生産活動の質は上げていきたい。そのためには、「質問すること」の意味を掘り下げていく。質問する力はどうしても不可欠なのだと思わされます。