こんにちは、40代オッサンtrrymtorrsonです。
僕は事務職で25年以上働いていますが、アラフィフに差し掛かり、今の仕事が無性に嫌になってきました。
アラフィフで転職は非常に困難だと承知していますが、何とか活路は無いものか。
考えたのは、事務系の資格を取ること。
ざっと思いついたのを挙げると、産業カウンセラー、社会保険労務士、行政書士、介護福祉士、ファイナンシャルプランナー、簿記などなど・・。
25年以上の実務経験を活かし、専門資格を取って横展開する。
もう一つは、頑張れば大学の講師になれるのではないかということ。
大学教授は難しいかもしれませんが、非常勤講師から入れないものか。
こういうノウハウについて、探せばマイナーな本がいろいろ見つかるようです。
とりあえず手に取ってみたのが、鷲田小彌太さんの『社会人から大学教授になる方法』です。
一番ドンピシャなタイトルで、鷲田さんは昔から名前を見聞きしていたので。
2006年発行で、ちょっと古い本だったのでどうかなとは思ったんですが。
ざっと読んでみましたが、結論から言うと、若い頃から研究者を志して成果を出してないと勝てないですよ、ということ。
「社会人から大学教授になる方法」というタイトルなので、そのノウハウが書いてあるのかなと思ったら、社会人から大学教授になるのは簡単じゃないですよ、という内容。
タイトルと違うやん・・なんだかなあ。
気を取り直して要点を挙げると、次の3つ。
▶明確な専門分野を持って研究に励むこと
▶大学院を出ること
▶学術論文を書いて学会に発表すること
これが大学教師になる近道だそうです。
上記以外に、いくつか気になった内容を挙げてみます。
ちょっと古い数字ですが、日本の大学院生は、アメリカの大学院生と比べてまだまだ少ないそうです。
日本ではまだまだ専門的研究を行う人材は少ない。社会的な要請によって、大学院の専門研究を経た人材はこれから求められるかもしれません。
大学で研究者になるためには「学術論文」が欠かせない。
「学術論文」とは何か?それが属する学会で認められる研究水準を確保している論文だ。とりわけ重要視されるのは、オリジナリティ(独創性)である。しかし、論文が独創性を持っているかどうかは、その専門分野のこれまでの蓄積を踏まえているかどうかによって決まる。学説史研究や文献研究が欠かせないのだ。
こういう前提となるべき文献研究を欠くと、たんなる独りよがりの奇異性とか、先行研究の成果を無視した二番、三番煎じとか、あるいは無知なるがゆえの剽窃(ひょうせつ)、盗用とかに陥る。固いことをいえば、学術論文とは、学術研究の基本ルールに適った論文である。
こういう基本ルールは、学術世界の中で身につける他ない。大学院で学ぶ要件の一つは、この基本ルールを学ぶことである。
大学教師として使い物にならなかった人が、企業で活躍することが可能だと思えるだろうか?とてもとても、だろう。同じように、企業で使い物にならなかった人が、大学でひと働きできる、と思えるだろうか?とんでもない、だろう。
今やっている仕事が、嫌で嫌でたまらない。もっと自由な立場で自分のしたいことをやってみたい。そのためには大学教授はベターだ。こう思って大学教授になろうという人がかなりいる。こういう思いを頭から否定はできないし、するつもりもない。
しかし、社会人から大学教師に転じた人で、かつての仕事に熱中できなかった人は、大学教師の仕事、研究や教育活動にも熱中できないという事実があることを、知っておいて欲しい。それもかなりの割合でいるのだ。
かなりハードルを上げる鷲田さんですが、まあ正論かと思います。
そのうえで、研究や知的生活の喜び、大学教師になることの大いなる可能性もたくさん書いてらっしゃいます。
読んでおいて損はないかと思います。
本日の記事は以上です。
☟『【最終版】大学教授になる方法』鷲田小彌太(言視舎)