こんにちは、40代オッサンtrrymtorrsonです。
このごろ橘玲(たちばな・あきら)さんの著書を3冊立て続けに読みました。
『働き方2.0vs4.0』(2019.4月発行)『上級国民/下級国民』(2019.8月発行)『無理ゲー社会』(2021.8月発行)という3冊です。
そのなかで今回は『上級国民/下級国民』を取り上げます。
橘さんの各著書の主張というのは、一読してもちょっと掴みづらいところがありますね。
タイトルはとても分かりやすくて興味を引くんですが。
それで、Amazonの口コミ欄に一部の低評価も見られます。
上の3冊を読んだうえであらためて橘さんの各著書に共通するテーマを考えてみると、次の点になります。
日本を含めて世界的な潮流として「知識社会化」「グローバル化」「リベラル化」が進行しているということ。
橘さんによれば、世界で起きている諸問題はこの3つの視点から説明できるといいます。
「知識社会化」「グローバル化」「リベラル化」が進行し、世界的に分断が起きているということ。
なるほど橘さんの著書には至るところに分断を表す対比的なキーワードが用いられています。
「上級国民」と「下級国民」
「モテ」と「非モテ」
といったように。
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本書『上級国民/下級国民』は3つのパートに分かれています。
パート1では、バブル崩壊後の平成の労働市場がどのように「下級国民」を生み出したのかを説明します。
パート2では、「上級国民/下級国民」が「モテ/非モテ」につながることを論じます。
パート3では、日本だけでなく先進国を中心に世界中で「上級国民/下級国民」の分断が進んでいる背景を考えます。
一応すべて通して読んではみたんですが、僕のビジネスブログは労働にまつわる諸問題を対象にしていますので、パート2とパート3は読まなくてもいいかと。
パート3にも重要ないくつかの論点を含んでいると思いますが、それは本書の冒頭で橘さんが結論を述べているんですね。
つまり次のようなことです。
なぜ世界じゅうで同じ現象が起きているかというと、私たちが「知識社会化・リベラル化・グローバル化」という巨大な潮流のなかにいるからです。
その結果、世界が総体としてはゆたかになり、ひとびとが全体としては幸福になるのとひきかえに、先進国のマジョリティが「上級国民/下級国民」へと分断されていきます。
世界中が、特に先進国を中心に豊かで平等になり、「私の人生は私が自由に選択する」という価値観が広く共有されることになりました。
これが橘さんの言う「リベラル化の進行」です。
しかし、皆が自由で平等な価値観を共有することとひきかえに、「能力主義(メリトクラシー)」が浮き彫りになったというんですね。
「能力主義」とは自己実現と自己責任を人々に強いる価値観であり、知能や知識の格差が人々の分断につながっているというのです。
しかも自由と平等と豊かさの追求は皆が望んでいることですから、この分断と軋轢は避けられないんですよ。
橘さんは本書の最後でこの「知識社会」もいずれ終わりを迎えるだろうと予測しています。
それはテクノロジーの指数関数的な性能向上でAIが人間の知能をはるかに上回り、もはやどんな人間もテクノロジーを理解できなくなり知能は意味を失ってしまうからなのです。
本日の記事は以上です。